【横浜イセザキ街歩き】 大通り公園 ふらり立ち寄り

JAPAN(日本)
  •  関内駅 - 大通り公園(伊勢佐木長者町駅 - 阪東橋駅)
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関内駅~伊勢佐木長者町駅

 横浜・関内駅前の横浜[旧]市庁舎跡に高層ビル建設中(2025年12月竣工予定)。
 線路挟んで反対側が横浜の大通り公園。

オブジェはロダン『瞑想』

 公園入口に関東学院大学新キャンパス(横浜・関内キャンパス)。2023年4月OPEN。

左下に横浜スタジアム

 横浜市教育文化センター跡。前川建築だった。
 センターにはかつて横浜市民ギャラリーがあった(2013年まで。今は桜木町方面の紅葉坂)。

 公園入口は「石の広場」。
 ロダンのオブジェの後方にはかつて階段の野外ステージがあった。

 昔たびたび連れて来られて、いつも賑わっていた記憶がある。大通り公園の開園が1978年で、横浜スタジアムも1978年誕生。1980年代の横浜の賑わいの中心は、関内~伊勢佐木(イセザキ)だった。
 だんだん臨海部のほうに賑わいが移って、
 野外ステージは10年以上前に撤去。

 今は臨海部の開発も落ち着いてきて、
 近くの横浜文化体育館が「横浜BUNTAI」にリニューアル。
 今年(2024年)、大通り公園リニューアル・スタート。
  関内側から。
  2027年-2028年全面リニューアル完了とのこと。

 時折バザーやイベントが開催されているが、
 市庁舎跡が完成すれば、くすのきモール(くすのき広場跡)を介してベイスターズ通りとつながり、歩行者が増えるであろう。

 「横浜BUNTAI」(yokohama-buntai.jp/)は大通り公園の南側(東側)。
 メインアリーナとして建設。2024年4月OPEN
 横浜文化体育館は2020年閉館。

 隣の細長い建物はホテル(HOTEL COMENTO)。

 2025年2月、冬のスポーツ・カーリング開催予定(japan-curling.yokohama/)。首都圏アリーナ初開催。

 交差点挟んで、サブアリーナ「横浜武道館」。
 2020年OPEN。横浜総合高校跡。

 ふたたび大通り公園。
 大通り公園は関内から阪東橋まで全長約1.2km。
 公園の下は市営地下鉄。途中に駅(伊勢佐木長者町駅)があるので、気軽に歩ける。

 ▼ 大通り公園「水の広場」から関内方向

奥は市庁舎跡(建設中)

 ムーアのオブジェ

 ▼ 秋のバラ(ローズ)

 市営地下鉄 伊勢佐木長者町駅へ。

 ワシントンホテルは、2022年からチサンホテル。

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伊勢佐木長者町駅~阪東橋駅

 大通り公園の散歩は、いくつか車道を渡るが、
 伊勢佐木長者町駅が跨いでいる横浜根岸道路は大通りなので、公園散歩の場合、階段下って駅の中をくぐったほうがスムーズ。

 駅の中に「橋の詩」という陶板レリーフがあり、
 大通り公園が運河(吉田川・新吉田川)の埋め立て跡であることを物語っている。
 運河には10の橋が架かっていた。
 もっと遡ると海だった。

 水分補給。

 伊勢佐木長者町駅~阪東橋駅は「緑の森」。
 サクラ(桜)が並んでいるので、春、良さそう。

 秋、カラスとハトが餌探し。
 特に何かがあるわけではないが……

 異国の言葉が飛び交い始める。

 ▼ 横浜橋(よこはまばし)通商店街の入口

 最寄の駅は市営地下鉄 阪東橋。
 いつの頃からか、アジア系多国籍の商店街。
 異国情緒飛び超えてカオス感溢れているが、懐かしさも感じられる。
 たいやきGETして、奥の中村川・三吉橋方面へ。
 長いアーケード街。
 酔来軒に行列。

 みたび大通り公園。
 「歌丸桜」
  シダレザクラ。福島の三春滝桜の子孫。
  もう6年経つ。

 平和祈念碑
  1945年5月の横浜大空襲犠牲者追悼の碑。
  1992年建立。

  母は生き延びた。家は焼かれた。

 阪東橋駅でひとまず一区切り。京急 黄金町(こがねちょう)駅も徒歩圏。

 横浜橋、阪東橋は(前述の)運河に架かっていた橋の名。
  阪東橋の先が日本橋。

 阪東橋駅から先は首都高速道路の高架下。阪東橋出入口。
 大通り公園も首都高速の高架下になる計画だった。
 熱意ある人達がいたおかげで、計画ルート変更、関内区間地下化。

 -参考-
  まちづくりの発想 / 田村明 / 1987 / 岩波書店
  など

  田村明記念・まちづくり研究会(www.machi-initiative.com/)

 当たり前ではない日常。

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