諫早~長崎から3半島。
長崎半島、島原半島、西彼杵半島。
当ページは島原半島。
中心に雲仙岳。
雲仙北
島原半島北部。島原鉄道 愛野~多比良。
2005年、南高来郡7町合併で雲仙市誕生。
愛野
愛野駅
橘湾側に愛野展望所
吾妻
吾妻駅
雲仙市役所
諫早湾干拓堤防道路(雲仙多良シーライン)の南側
南東に吾妻岳
瑞穂
西郷駅
岩戸神社/岩戸渓流公園
国見
神代(こうじろ)
神代駅
神代小路[歴史文化公園]
江戸時代、佐賀藩(鍋島藩)神代領
鍋島邸
武家屋敷
長浜海水浴場
雲仙温泉から北上して海に出た。
夏だったので、水浴びした。結構浅い。
土黒(ひじくろ)/多比良(たいら)
多比良駅
多比良港
フェリー ~長洲港(熊本県)。
百花台公園
舞岳の北
雲仙西 -橘湾-
島原半島と長崎半島の間が橘湾。
千々石(ちぢわ)
千々石観光センター(www.chidiwa.com/)
千鶏カステラ本舗、「じゃがちゃん」、
千々石海岸/千々石海水浴場
橘神社
釜蓋城跡
千々石氏の居城
東の九千部岳も雲仙岳の一。奥雲仙。
その北、吾妻岳との間に田代原(たしろばる)高原。
千々石~小浜の橘湾がカルデラ(千々石カルデラ)で、
雲仙火山のマグマ溜り!?
小浜(おばま)
小浜温泉(obama.or.jp/)
雲仙温泉郷。こちらは海に面した温泉地。
全国有数の高温温泉!。
三十路苑
紅葉の名所
金浜眼鏡橋
戦前、愛野~千々石~小浜を鉄道が走っていた。雲仙鉄道。
諏訪の池
江戸時代初期につくられた農業用溜池。
雲仙諏訪の池ビジターセンター
休暇村雲仙は2021年閉館。
東、有馬側に原山ドルメン群。
南串山
国崎半島
雲仙岳・雲仙温泉
島原散策
有明
湯江
有明の森フラワー公園
百花台公園(国見町)の隣
大三東(おおみさき)
「日本一海に近い駅」大三東駅
三会駅
島原新港
島原市街 ・・・ 島原駅~島原港駅
街中に湧水がある「水の都」。
猛島神社
島原城(shimabarajou.com/)
森岳という小山に築かれたので森岳城とも。
有馬氏が日向・延岡へ国替えとなり、大和・五条から国入りした松倉氏の下、約7年かけて築城。
天守閣は5層、高さ約33m。国内屈指の高さ。
※ 今ある天守は再建
凶作・飢饉、重労働・重い年貢、キリスト教取締り強化・弾圧が重なって、天草四郎率いる一揆(島原の乱)につながっていく。
島原の乱の後、藩主は松平氏など。
松平氏は1669年、松平忠房が最初
武家屋敷跡
本光寺
松平氏の菩提寺
アーケード街/新町通り(鯉の泳ぐまち)
しまばら水屋敷
しまばら湧水館
四明荘
江東寺/涅槃像
白土湖(しらちこ)
眉山大崩壊の後、陥没して生まれた湧水湖。
浜の川湧水
「かんざらし」という白玉団子入りシロップが島原名物。
霊丘公園
南島原駅は2019年から島原船津駅。南島原市と間違われるため。
眉山(まゆやま)
七面山と天狗山。
1792年、天狗山側が大崩壊。島原の海岸線が沖へ大きく移動。
垂木台地から七面山へ登山道あり。
眉山の麓に島原総合運動公園
しましましま - 九十九島(つくもじま)
眉山大崩壊で生まれた島々。
島原港~秩父が浦
島原港駅
島原鉄道終点
島原港
フェリー ~熊本港、三池港(福岡県)
かつては三角(みすみ)とも結ばれていた。
島原港の近くで宿泊。
島原にも小涌園があったが、今はHOTELシーサイド島原。
温泉もある。
島原温泉(しまばら温泉)
安徳
平成町
雲仙・普賢岳噴火による土砂で埋め立て。
がまだすドーム(雲仙岳災害記念館)(udmh.jp/)
がまだす=がんばる
島原復興アリーナ
深江
現・南島原市
道の駅ひまわり
島原半島唯一の道の駅。2023年リニューアルOPEN。2021年まで道の駅みずなし本陣[ふかえ]。
土石流被災家屋保存公園が隣接。
ふかえ桜パーク ・・・ 水無川右岸
南島原 -有馬、口之津、-
2006年、南高来郡8町合併で南島原市誕生。
本庁は西有家町
布津
有家(ありえ)
鮎帰りの滝
有家総合運動公園
須川港/龍石海岸
みそ五郎の森総合公園
高岩山
雲仙岳の一。雲仙温泉の南。みそ好きの巨人・みそ五郎どん伝説の山。
有馬
有馬氏の下、日野江城と原城築城。
島原城が築かれる前の拠点。
日野江城跡
有馬義貞、晴信(キリシタン大名)の居城
有馬セミナリヨ跡
国内最初のキリスト教学校。もう1ヶ所は安土(滋賀県)。
ここで学んだ少年たち4名がヨーロッパへ向かう。ヨーロッパを訪問・見聞した最初の日本人。天正遣欧使節 [1582-1590]。
原山ドルメン(支石墓)群
諏訪の池の東。
縄文末期~弥生最初期。国内最古級。
九州西岸を南北に往来していた(おそらく隼人系の)海の民が大陸(半島)南西あたりの民(ドルメンが多いところ、大陸において古い集団)と接触して、弥生時代に遷っていったのかも。
浦田/大江
原城跡
有明海に面した風光明媚な立地。対岸は天草・大矢野島。
島原城築城後、廃城。
のち島原の乱(1637年-1638年)で、一揆方が約3ヶ月籠城。
乱は約4ヶ月続いて、双方多くの犠牲者を出した。
幕府方の総大将・板倉重昌も討ち死に。老中・松平信綱の下、乱を鎮めた。
歴史上大変な悲劇。
……過程を見ると起こるべくして起こったように思えて、重苦しい気分に襲われる。
原城温泉
有馬キリシタン遺産記念館
西望公園/西望記念館
北村西望氏の平和祈念像、聖観音像など
ありま まりあ 巨大マリア像!
口之津(くちのつ)
島原半島南端。
16世紀、有馬義貞が港を築いて南蛮貿易の拠点になった。
1563年、キリスト教イエズス会宣教師来訪
1567年、ポルトガル船が口之津港入港
明治時代には三池炭鉱(福岡県)の石炭海外輸出港として栄えた。
天草の鬼池港から島鉄フェリーで渡った。
口之津港の入口に歴史民俗資料館、なんばん大橋。
上の写真の資料館は今は分館。
本館はフェリー・ターミナルがある口之津港緑地公園のほう。
訪れた時は島原鉄道が走っていた。
白浜海水浴場/口之津温泉
有馬、口之津は国際色(南蛮色)の濃い時期があり、キリスト教布教の拠点になった。キリシタン特区というかそれ以上だったのかも。
繁栄の陰で、次第に幕府から危険視され……
加津佐(かづさ)
かつて島原鉄道は加津佐まで走っていた。
前浜海水浴場
岩戸山
口之津、加津佐は多くの船乗りを輩出。
南島原~天草の早崎瀬戸(海峡)は、バンドウイルカ(ハンドウイルカ)が定住。
イルカウォッチングの名所になっている。
その他 Link、
島原鉄道
諫早 … 愛野 - 阿母崎 - 吾妻(雲仙市役所前) - 古部 - 大正 - 西郷 - 神代 - 多比良 - 有明湯江 - 大三東 - 松尾 - 三会 - 島原 - 霊丘公園体育館 - 島原船津 - 島原港
島原港(廃線当時、島原外港)~加津佐間は、2008年廃止 →
諫早駅は西九州新幹線、長崎本線、大村線停車駅
フェリー
九商フェリー、熊本フェリー
島原港~熊本港
やまさ海運 三池島原ライン
島原港~三池港
有明フェリー
多比良港~長洲港
島鉄フェリー
口之津港~鬼池港
島原半島の海岸線を国道251号が周回。
内陸(山)側を
・ 島原道路(諫早~島原)
・ 雲仙グリーンロード(島原半島広域農道)
が部分開通。
Linkいろいろ
島原 Shimabara/雲仙 Unzen/南島原 Minamishimabara