トランスユーラシア語族の拡散 -遼河から日本列島へ-

TIME(歴史)
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北方にいた先祖

 日本人の原郷の1つは遼河(りょうが)西部。
 この点だけなら真新しい話というわけでもないと思うが、今月(2021年11月)の気になったニュース。
 --- トランスユーラシア語族の起源は約9000年前の遼河地域の初期キビ農家。
  琉球大学 お知らせ - 遺伝学・考古学・言語学の……(www.u-ryukyu.ac.jp/news/29557/

 トランスユーラシア語族 Transeurasian Languageとは、

  •  日本語 Japanese
  •  カンコク語 Korean
  •  ツングース語 Tungusic
  •  モンゴル語 Mongolic
  •  チュルク語 Turkic

 アルタイ語族 Altaicといったほうが馴染みがあるが、
 語順が主語 S + 目的語 O + 述語 Vの言語。SOV。
 ・ 私たちは キビ団子を 食べます
 ・ あなたは 私に 誤った道を 教えます
といった具合。

 英語は主語 S + 述語 V + 目的語 O。SVO。 
 ・ We eat cultured meat(私たちは 食べます 培養肉を)

 チャイナもSVO。
 ・ 你教我流行(あなたは 教えます 私に 流行を)
といった具合。
 チャイナはシナ・チベット語族。

 遺伝学 genetics・考古学 archaeology・言語学 linguisticsの学際的研究ということだが、
 対象の遺跡から当時話していた言語が明らかになるわけではなく、
 昔いた人と今いる人が同じ系統のグループとは限らないので、
 あまり言語に関しては拘らず
 単にトランスユーラシア語族で括られているグループ間の関係としてみた。

 論文の図3 Fig.3によると
  ※ 論文=Martine Robbeets et.al / Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages / Nature 2021.11.10(doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
 日本の弥生時代(青銅器時代以降)の遺跡は、

  •  Rokutsu Jomon  六通貝塚 -縄文- ・・・ 日本列島 千葉
  •  Upper Xiajiadian -夏家店(かかてん)上層文化- ・・・ 遼河流域 内モンゴル
  •  Hongshan -紅山(こうざん)文化- ・・・ 遼河流域  内モンゴル
  •  Yangshao -仰韶(ぎょうしょう)文化- ・・・ 黄河流域 チャイナ 河南
  •  Jalainur  ジャライノール遺跡 ・・・ アムール川流域 内モンゴル

の5系統のうち縄文夏家店上層の割合で表されている。

 Kuma-Nishioda Yayoi 隈・西小田遺跡 -弥生- ・・・ 福岡県筑紫野
縄文1割と夏家店上層9割。
 Japanese(現代日本人)がこちらとほぼ同じ割合。

 Antokudai Yayoi 安徳台遺跡 -弥生- ・・・ 福岡県那珂川
縄文2割弱。

 Shimomotoyama Yayoi 下本山岩陰遺跡 -弥生- ・・・ 長崎県佐世保
縄文5割弱。

 Nagabaka late 宮古島 長墓遺跡 -先史- ・・・ 沖縄
縄文100%。

 追)沖縄の先史については下のページに整理

 同じ宮古島でも時代が下った
 Nagabaka historic 宮古島 長墓遺跡 -近世-
縄文2割強。
 Okinawa、Miyako、Yaeyama(現代の沖縄・宮古・八重山の人々)がこちらとほぼ同じ割合。

 夏家店上層はさらに
 ジャライノール(アムール川流域)6割と仰韶(黄河流域)4割
で表されている。

 Lower Xiajiadian 夏家店下層(青銅器時代 Bronze Age)が
 ジャライノール1割と仰韶9割
であるのに
 その前のHongshan 紅山(新石器時代 Neolithic)は
 夏家店上層とほぼ同じ割合になっている。

 なおDevil’s Gate(悪魔の門)とあるのは、今日ロシア沿海州のチェルトビ・ボロタ洞窟[遺跡]。

 朝鮮半島(以下半島)は青銅器時代の
 Taejungni ・・・ インチョン(仁川)空港南方のソサン(瑞山)
夏家店上層100%。

 新石器時代の遺跡はいずれも半島南岸の島に位置し、
 縄文および紅山の割合で表されている。
  ※ 紅山は夏家店上層とほぼ同じ(ジャライノール6割と仰韶4割)
 Ando ヨス(麗水) アン島(安島)
紅山100%。
 Yokchido トンヨン(統営) ヨクチ島(欲知島)
 Yeondaedo トンヨン(統営) ヨンデ島(煙台島)
 Changhang ・・・ プサン(釜山)のカドク島(加徳島)
縄文が1割以上(現代日本人以上)みられ、離島のヨクチ島では8割以上。

 下図は論文の図4 Fig.4。

論文(doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8)Fig.4からの引用
Millet:キビ、Rice:イネ

 約2900年前(約3000年前)、半島から九州へ。この頃から弥生時代ポツポツ開始。(JomonのAinuicは疑問に思うところでもある)。
  ※ BPはBefore Present。現在(1950年)から○年前。2900BPは2971年前。
 約6500年前から約2900年前までの間半島に留まっていた人々の文化が弥生文化の一大要素になったとみなせるが、約3500年前以降、黄河方面からシナ・チベット語族のイネが合流している。(山東半島から半島への渡海は不詳)。
  ※ このイネの源流は長江中下流

 また、半島南部特に南東は縄文圏でもあった
 九州、対馬から半島へ渡った人々(海の民)がいた。
 つまり、九州よりも半島南東において縄文文化から弥生文化へ遷り始め、南への渡海が可能になったのだろう。

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もう少し迫ってみる

 約9000-8000年前は日本の歴史区分だと縄文時代(早期)。
 遼河西部(遼西) West Liaoにおいては新石器時代(前期)の興隆窪(こうりゅうわ)文化。

 … 新石器時代(中期)の紅山文化
 … 青銅器時代の夏家店下層文化 - 夏家店上層文化
と続く。

 夏家店下層 - 夏家店上層は日本の歴史区分だと概ね縄文時代(後期)-弥生時代(前期)。

 遼河は今日チャイナ領だが、興隆窪-紅山文化系統は
 黄河~長江の文化圏とは別系統。

 まだ長城もなく国家も生まれていない時代、 
 黄河流域で生まれたとされるキビ・アワの初期農耕が北上し、遼河流域の文化と混合。
  ※ 紅山文化の時点で仰韶(黄河流域)4割

 弥生時代、日本列島に渡って来た人々は大まかに
 A トランスユーラシア語族の狩猟採集民(のちのち遊牧民)
 B 早くからトランスユーラシア語族に合流したキビ・アワ初期農耕民
 C 黄河~長江の文化圏由来の稲作農耕民
に分けられそう。

 うちAのトランスユーラシア語族に関して言えば、
 『三国志』魏書で言うところの烏丸鮮卑東夷が該当しうる。

 日本列島に渡って来た「最初期の弥生人」に関して言えば東夷のうち三韓(≠三国)の人々が合う。半農半牧。
  ※ 現代朝鮮人と混同しないよう注意

 ただ、A、Bだけでは縄文文化同様なかなか国家誕生までには至らなかったように見える。
 国家誕生にはトランスユーラシア語族ではないCの存在が欠かせなかったように思う。

 なお、興隆窪-紅山文化系統は北海道~北東北の縄文文化と似た要素があると指摘されている。

 言語シフトに関しては、縄文人が使っていた言語が既にSOVだった可能性もある。

 渡海ルートはミッシング・リンクになりがちで、全て解明されたわけではない。

 今後も注目。

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