東京・府中の西を東山道武蔵路、鎌倉街道が南北に走っていて、
府中市街から北へ向かうと国分寺。
相模と絡めて古道、国分寺についてもう少し深く迫りたいが、
今回は総社(惣社)について、また、武蔵国総社である大國魂神社の神様について、学んだこと考えたこと書き並べてみます。
総社、一之宮、二之宮、……
総社は律令国家成立後、各国の一之宮(一宮)、二之宮(二宮)、三之宮(三宮)、……諸所の神社の神々を国府の近くに合祀した神社。
今日武蔵国の一宮はさいたま市大宮の氷川(ひかわ)神社で、埼玉県神川村の金鑚(かなさな)神社が二宮とされているが、
古くは
一之宮 小野神社(東京都多摩市)
二之宮 二宮神社(東京都あきる野市)
三之宮 氷川神社
四之宮 秩父神社(埼玉県秩父市)
五之宮 金鑚神社
六之宮 杉山神社(神奈川県横浜市緑区)
大國魂神社においてもこちら。
なお、小野神社は府中側(府中市住吉町)にもある。
ふるさと府中歴史館にあったパネルの説明によると
『これら6つの神社は、国衙の政務に関わった官人らが本拠地で祀っていた神社が選ばれたのではないかともみられています。』
武蔵国は21の郡に分かれ、うち大半が今日の埼玉県。東京都は大半が多磨郡(多摩郡)で、あとは荏原郡、豊嶋郡(豊島郡)など。神奈川県は橘樹郡、都筑郡、久良郡(のちの久良岐郡)。
ちなみに相模国は
一之宮 寒川神社(神奈川県寒川町)
二之宮 川勾(かわわ)神社(二宮町)
三之宮 比々多(ひびた)神社(伊勢原市)
四之宮 前鳥(さきとり)神社(平塚市)
+ 平塚八幡宮
で
総社は国府があったとされる大磯町の六所神社。
大國魂(大国魂)考
武蔵国一之宮~六之宮の神々が武蔵国府に祀られて「総社六所宮」となり、大國魂神社(www.ookunitamajinja.or.jp/)になった。
祀られている神は大國魂大神(大国魂神)。
大国魂神に関しては大国主神と同一視する見方がある。
国々に主(ヌシ)がいて、国々が合わさって大きな国になれば、その大国の主は大国主となる。
大国魂も国々の魂(玉)が合わさって大国魂になったと捉えることもできる。
ただし、大国魂神は「総社六所宮」となる以前の古い時代の開拓神。もともと「総社六所宮」となる前は大國魂神社だったようだ。
※ 大國魂神社 ⇒ 「総社六所宮」 ⇒ 大國魂神社
大國魂神社の由緒によれば創建は景行天皇41年。出雲臣天穂日命(アメノホヒノミコト)の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられ……とある。
※ 景行天皇41年=西暦111年となっているが、景行天皇の時代(ヤマトタケルの時代)は4世紀代が合う
『古事記』によると大国主神の亦の名に宇都志国玉神という玉神の名がみえるが、大年神の子神が大国御魂神。ともにスサノオ神の神裔。『日本書紀』によると大国主神の亦の名に大国玉神の名もみえるが、全く同一の神というわけでもなさそう。
この点(今のところ)特にこだわる必要もないと思うが、気になるのはヤマトの中のヤマト(奈良)の大和(おおやまと)神社(天理市)で祀られている倭大国魂神があたかも倭(ヤマト)と大国魂と合体したかのように思える点。しかも倭は剣と深く結びついている印象。国生み神話で最初に登場するオノゴロ島=淡路島あたりで「大国魂/玉」と「倭/剣」が合体したように思える。
『日本書紀』によると倭大国魂神(日本大国魂神)の祭主はイチシノナガオチ(市磯長尾市)。前の祭主・ヌナキイリヒメ[ノミコト](沼名木之入日売命、渟名城入姫命)は髪が落ち体が痩せて祀ることができなかった。大国魂の祭主であるけれど倭が加わった大国魂を祀るには霊力が足りなかったように読み取れる。
ヌナ(沼名、沼、渟名、渟)という名を持つ人は他にもいて、
高志(こし)国(=越国)のヌナカワヒメ(沼河比売)もその1人。大国主神の亦の名とされる八千矛神の妻神。糸魚川(新潟)のヒスイの勾玉と関係深そうな女神。
諏訪(長野)のタケミナカタノ神(建御名方神)はヌナカワヒメの子神とされる。
諏訪盆地 - 越 - <日本海> - 出雲
は縄文以来往古の幹線ネットワーク。
2代目の綏靖(すいぜい)天皇もカムヌナカワミミノミコト(神沼河耳命、神渟名川耳尊)=タケヌナカワミミノミコト(建沼河耳命)でヌナの名を持っている。
葛城の高岡宮にいたことになっているが、
ヌナーんと葛城の二上山(葛木二上神社)にも大国魂神が祀られていました。
日本海 - 琵琶湖 - 畿内・大阪湾
という古のネットワークもあったでしょう。
しかし、「倭/剣」は上記の古のネットワークとは別に瀬戸内海を西から東へ遷ってきた可能性が高い。関わっていたのはおそらく大倭国造(倭国造、大和国造)の祖・サオネツヒコ(槁根津日子)=シイネツヒコ(椎根津彦)に連なるグループ。先述のイチシノナガオチも大倭直(やまとのあたい)の祖で同系。
なお、以前『西・東海から東・関東へ』で触れたタケヌナカワワケ(建沼河別、武渟川別)もヌナの名を持っている。
探究はつづく。