軒並み高層化が進む東京都心。屋上庭園などもあるが、だんだん地上の緑地が恋しくなるでしょう。
明治神宮外苑の近くにある新宿御苑について。
新宿御苑 新宿門~大木戸門
憩いのために新宿に行くという感覚がなかったので、外から眺めるばかりだったが、
良いところ。
出入口は3ヶ所。
- 新宿門
最寄の駅 新宿三丁目。インフォメーションセンターあり - 大木戸門
最寄の駅 新宿御苑前。駐車場あり - 千駄ヶ谷門
最寄の駅 千駄ヶ谷
南東にある正門は閉鎖状態。
新宿門から入園。
2022年10月。キンモクセイ(金木犀)の香り。
最初は西休憩所から林の中を散歩。「母と子の森」。
ラクウショウ(落羽松)=ヌマスギ(沼杉)。気根(呼吸根)がニョキニョキ生えている。
茶室・楽羽亭から日本庭園。
上の池へ。
上の池から流れに沿って歩く。
ハギ、タイワンホトトギスの花。
旧御凉亭(台湾閣)
昭和天皇ご成婚記念。
▼ 中の池
中央休憩所(カフェ)で一服。
他にも店が数ヶ所点在している。
芝生でも休める。
芝生の中を突っ切って管理事務所の隣・旧洋館御休所(ごきゅうしょ)へ。
新宿御苑の歴史は、
明治時代、農事試験場を経て皇室庭園。
1949年から国民公園として一般開放。
環境省HP - 国民公園(www.env.go.jp/garden/)
に利用ガイド、園内マップ、ニュースなど
(御休所の一般公開は2024年9月現在休止中)
御休所から大温室へ。
新宿御苑 大木戸門~千駄ヶ谷門
大温室は大木戸門の傍。
大木戸は江戸城下町の出入口で、四谷4丁目が四谷大木戸跡(江戸の西端)。四谷区民センターに碑がある。
四谷見附はもう少し東の四ツ谷駅で、江戸城外堀。
四谷大木戸跡から西が甲州街道の宿場・内藤新宿。開設は江戸幕府開府から約100年後なので新しい宿場。それまでは高井戸が第1番の宿場だった。
[信濃国]高遠藩内藤家下屋敷があったので内藤町。
※ 高遠は現・長野県伊那市
ちなみに近くの信濃町は信濃守と呼ばれていた永井氏に由来する、ということで信濃国由来というわけではないとのこと。そうか。
大木戸休憩所で一服。
2022年12月、大木戸休憩所の隣に新宿御苑ミュージアムOPEN。
大木戸休憩所から眺める庭園は、内藤家の庭園「玉川園」が元。
元々徳川家康の重臣だった内藤清成の大名庭園の一部、とあるので、新宿御苑の歴史は江戸開府の頃まで遡ることができる。
玉藻池が造られたのは内藤新宿開設よりも後。
多摩川から四谷大木戸までひかれた玉川上水の余水(余った水)が玉藻池に流された、とある。
※ 新宿門~大木戸門の園外に玉川上水散歩道が整備されている
玉藻池から中の池方面へ向かう途中に広場があり、
左手に整形式庭園、いわゆるフランス庭園。プラタナス並木、バラ花壇。
その先の正門が閉鎖されているので、片隅の異世界と化している。
明治神宮外苑までビビッと緑道・並木道で通してしまえば良いのに……。
ラクウショウ、メタセコイア、ユリノキ、プラタナスは明治時代、新宿御苑や小石川植物園(文京区)に初移入。
反対側、右手に風景式庭園、いわゆるイギリス庭園
というかセントラル・パーク
段々のビルはエンパイア・ステート・ビル
ではなくNTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー)。
園内至る所から見える。
最初、上の池では目障りに感じたが、
離れるにつれて良い感じに収まっていった。
高層建築物は離れてもついてまわるので、都市景観の良し悪しに大きく影響を及ぼす。
東京都心の景観は長らく東京タワー様様だった。緑地や河川が目立たない中、東京タワーが皆の視線を集めることで、ごちゃごちゃを黙らせていた。
今、新宿以外で高層化が進んで、東京都心の景観は様変わりしている。
再び中の池
下の池の下に日本初のコンクリート擬木橋がある。
上の池~中の池~下の池の谷戸が千駄ヶ谷(せんだがや)。
渋谷駅から流れている渋谷川の源流。玉藻池からも流れていた。
(新宿御苑~渋谷駅の区間は現在暗渠。)
上の池の北の「母と子の森」もじめじめしたところで、
さらにその外(北)の天龍寺(新宿4丁目)にあったとされる池が源流のよう。江戸切絵図に描かれている。
※ 国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」(www.ndl.go.jp/landmarks/) - 江戸切絵図から探す - 内藤新宿千駄ヶ谷絵図
千駄ヶ谷門へ。
千駄ヶ谷駅へ。