奈良関連のニュース 富雄丸山古墳 + 奈良公園のシカ

TIME(歴史)

 ヤマトの中のヤマト・奈良。先日、興味惹かれる奈良関連のニュースが2つあったので、メモしておいた。

 奈良時代の都・平城京[跡]、日本全国の国分寺だった東大寺は奈良市で、奈良県の北に位置しているが、
 日本国の一国だった大和(やまと)国(大倭国)の国府はもう少し南の方にあった。国府跡は未だ見つかっていないが、高市郡(橿原市、高取町)など何ヶ所か遷ったとされている。
 大和国の総社が高取町の国府神社、
 大和国分寺が橿原市にあり、
 平城京遷都前の「藤原京」、その前の「飛鳥京」も程近い。

 「ヤマト(大和)の国」の時代(古墳時代~飛鳥・白鳳時代)は、
 三輪山~大和三山(橿原市・畝傍山など)~葛城山
を軸に歴史が動いていて、
 「大王墓」級の大型古墳を含む大規模古墳群は、
 三輪山周辺(大和) ⇒ 奈良市(佐紀) ⇒ 大阪
に造られていった。

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ニュースその1 富雄丸山古墳

 先日、国内最大の蛇行剣と類例のない盾形銅鏡が出土して話題になった富雄丸山古墳は、奈良市の西外れにある。生駒市、大和郡山市境付近。

 調査の詳細は奈良市HP - 報道・プレスリリース   

 円墳の北東の張り出し部・造出しから長さ約267cmの蛇行剣と鼉龍文(だりゅうもん)のある盾形銅鏡が出土。
 蛇行剣は最古、国内最大の鉄剣。
 最古の湧水・導水施設形埴輪も出土。

 富雄丸山古墳は国内最大の円墳(直径109m-110m)としても知られているが、国内最大となったのは2017年。それまでは直径86mとされていた。
 埼玉県行田 丸墓山古墳(埼玉古墳群)が直径105mで国内最大だった。

 追)2月19日訂正。富雄丸山古墳が国内最大となった時の資料(2017年、奈良市)を見ていたら
   茨城県大洗 車塚古墳(磯浜古墳群)は3番目ではなく7番目になっていた。直径88m。
   3番目は茨城県常陸太田 高山塚古墳(梵天山古墳群)で直径100m。
   4-6番目は、
   岡山県岡山・総社 小盛山古墳 95m
   埼玉県熊谷 甲山古墳 90m
   兵庫県朝来 茶すり山古墳 90m

 富雄丸山古墳は同じ奈良市内でも佐紀と呼ばれる一帯からはやや西に外れているが、4世紀後半という年代であれば佐紀の大規模古墳群も同時代の「大王墓」級古墳を含むので関連ありそう。

 『被葬者はヤマト王権の大王をサポートしていた勢力の可能性がある』(ならしみんだより)

 被葬者は?

 死んだはずだよ
 富雄(とみお)さん。

 被葬者は?

 ・ 国内最大の鉄剣が出土した。丸墓山古墳と同じ埼玉古墳群の稲荷山古墳からも「オオビコ」と読める銘入りの鉄剣が出土していて、ともに武人を連想させる。
 ・ 私的な年代推定ですが、成務天皇、神功皇后は4世紀代に該当しうる。また、陵墓は佐紀(=沙紀=狭城)にあると記されている。
 神功皇后の時代、「オシクマノミコ(忍熊王)の反逆」で皇后・皇太子(のちの応神天皇)方の将軍として丸邇臣(わにのおみ)の祖ナニハネコタケフルクマノミコト(難波根子建振熊命)という人が登場する。
 有力候補かなと思う。

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ニュースその2 奈良公園のシカ

 もう1つのシカ(鹿)のニュースも興味惹かれる。
 奈良市街の東、東大寺や春日(かすが)大社のある奈良公園はシカ天国。
 しかし、所変われば狩猟の対象となり、シカにとってヒトは敵。
 しかし、春日大社の神様は鹿島の神、タケミカヅチノ神(建御雷神、武甕槌神)であり、
 しかも、奈良公園のシカは、春日大社創建の際(奈良時代)、タケミカヅチノ神が連れて来たとされる特別なシカのようです。
 シカ界のロイヤル・ファミリーとでも言うべきか、特別な感じがする。
 ホントに別の所から連れて来られたのではないかとも考えられる。
 調べる人現れないかな、と思っていたら顕れました。

 奈良教育大学 【プレスリリース】 「奈良のシカ」の起源に迫る -紀伊半島のニホンジカの遺伝構造とその形成過程-   
  奈良教育大学、福島大学、山形大学の共同研究

 この研究によると紀伊半島のシカは東部、西部、奈良公園の集団に分けられる。
 東部と西部の集団が約500年前に分かれて、奈良公園の集団は1000年以上前に分かれた。
 近縁ではあるので別の所から……というのはちょっと分からなくなったが、特別なシカたちであることは確か。

 シカ(鹿)、逆から読むとカシ(橿)。

 探究はつづく。

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ふシゼン
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