【広島湾エリア】 宮島/宮島口

JAPAN(日本)

 廿日市市の一部。かつて宮島町、大野町。
 宮島と大野の間の大野瀬戸は、カキ(牡蠣)、アサリの産地。

 宮島口
  JR、広島電鉄(終点)停車駅。
  宮島までフェリーで約10分。
  空路は西の岩国空港のほうが近い。

 ちゅーピーパーク
 チチヤス大野ふれあい公園

 前空(まえぞら)駅

 [大野]権現山 - おむすび岩 - 烏帽子岩
  南東に船倉山・高見山

  おおの自然観察の森/べにまんさく湖

 大野浦駅

 宮浜温泉(miyahamaonsen.com/)
  温泉街

 経小屋(きょうごや)山
  標高596m

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宮島(厳島)

 宮島は、正式には厳島(いつくしま)。
 海上の朱色の大鳥居が印象的で、日本三景の一。
 奈良公園同様シカ天国。人馴れしているが、古くから生息している野生のシカ。
 しかし、鹿島ではなく厳島。

 港(桟橋)から厳島神社の間が中心市街。
  要害山/宮尾城跡
  表参道商店街
   今日のメイン・ストリート
   世界一の大杓子 ・・・ 宮島しゃもじ
  町家通り
   以前のメイン・ストリート
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 嚴島神社(厳島神社)(www.itsukushimajinja.jp/)
  厳島神社は全国に500ほどあるらしい。その総本社。
  安芸国一宮。
  祭神はイチキシマヒメ(市杵島姫)、タゴリヒメ(田心姫)、タギツヒメ(湍津姫)。
  いわゆるムナカタ(宗像)三女神。
  しかし、宗像神社ではなく厳島神社。

  干潮時、大鳥居まで歩けるが、通常はみな社殿の中を歩いているので、他の神社とは異なる印象。
  言わば宮殿。平安貴族の住居「寝殿造」。
  平安末期、平清盛によって整えられた社殿が今日の原型とされる。
  創建はもっと古く飛鳥時代。神主は佐伯(さえき)氏。大伴氏と同族のよう。広島市西部~廿日市市、大竹市はもと佐伯郡。

  東回廊 - 平舞台(ひらぶたい) - 西回廊。
  大鳥居から社殿を見る機会は限られるが、
  社殿から大鳥居を見ない人はいないであろう。
  その奥の山々も美しい。
  その手前に見えるのは「海の見える杜美術館」(王舎城)。たいていのメディアは見えないように撮影している。
  しかし、見える。
  大鳥居の背景の山々は、廿日市市20名山の船倉山(545m)・高見山(537m)が該当する。

 五重塔が建っている所は、塔の岡。
 隣に千畳閣(豊国神社)。

 厳島神社から紅葉谷
  紅葉谷公園入口にもみじ橋。
  公園入口から宮島ロープウエー紅葉谷駅まで無料送迎バス有り。
  公園入口の岩惣はG7サミットの会場にもなった。
  宮島銘菓「もみじ饅頭」はこちらで発祥とのこと。

 厳島神社から大聖院 ・・・ 滝小路
  大聖院
  白糸の滝
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 厳島神社から大元神社
  宮島歴史民俗資料館
  宮島水族館(みやじマリン)
  大元神社/大元公園
   宮島の浦々を巡った後、厳島神社が創建されたが、こちらの神社のほうが古い。
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 宮島はまだ宮島町だった時に訪問。
 宮島口からフェリーで渡って、海眺めながら厳島神社へ。
 お菓子食べながら紅葉谷公園へ。
 途中からシカがついてきて、どこまでもついてきて、
 港(桟橋)の近くまでつれてきた。

 だいぶ前からシカへの餌やりは禁止。
 『2007年に鹿せんべいの販売が中止』とのこと。
 シカの生息域は市街から周辺の山林へ移り、……
 しかし、今も容易に会える。

 訪問後、厳島神社台風被害。のち修復。
 壊れても修復、壊れても修復、……。
 神の力偉大なり。

 弥山(みせん)
  厳島神社の後背の山々。ご神体。
  山頂(標高535m)は神社の真南。
  山頂近くの御山(みやま)神社が厳島神社奥宮。
  登山コースは、
  ・ 紅葉谷から
  ・ 紅葉谷から宮島ロープウエー(miyajima-ropeway.info/)で獅子岩経由
  ・ 大聖院から
  ・ 大元神社から

 観光で巡り歩く範囲は宮島のごく一部。
 大半は山林。弥山から西は秘境エリア。
 西の岩船岳へ道がある。

 港(桟橋)から東へ向かうと杉ノ浦、包ヶ浦。
 包ヶ浦~紅葉谷の自然歩道がある。

 島一周する道はないが、島一周(周遊)クルーズがある。
 年数回、七浦巡りクルーズ。
 厳島神社/宮島桟橋~杉ノ浦~鷹ノ巣浦~腰細浦(腰少浦)~青海苔浦~山白浦~須屋浦~御床浦~厳島神社/宮島桟橋。

厳島の戦い

 争いとは無縁のように見える島だが、1555年、合戦場になった。毛利元就(もとなり)が陶(すえ)晴賢(はるかた)に勝利した厳島の戦い。
 元就は山陰の尼子氏も討って、孫の輝元までの間、毛利氏が中国地方を治める。
 元就が若かった頃は、山口を本拠とする大内氏が一大勢力で、元就はその勢力下、晴賢は大内氏の重臣だった。晴賢が謀反を起こして主君・大内義隆を討ち、後を継いだ大内義長は晴賢の傀儡、という流れ。

 [大内・]陶軍のほうが多勢で、不利に見えた毛利軍が勝てたのは、
 伊予の水軍を味方につけたことと
 作戦勝ち。晴賢を厳島に誘い込んで、背後の山側からの奇襲に成功した。
 元就のほうが晴賢よりも謀略に長けていた。

 港(桟橋)傍の宮尾城(宮ノ城)が毛利軍の陣地、
 西側の塔の岡が陶軍の陣地。
 元就の軍勢は包ヶ浦から博奕尾(ばくちお)という山を越えて塔の岡に迫り、不意をつかれた陶軍は総崩れに陥った。

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その他 Link、

 厳島神社の大鳥居は昨年(2022年)末頃まで3年半かけて大修復。約70年ぶりとのこと。以前より色鮮やかになった。 

 Linkいろいろ

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