1923年(大正12年)9月1日 関東大震災の日。
2023年は節目の100周年なので、例年よりも数多く報じられている。
毎年9月1日 防災の日。
「大地震は60年周期でやって来ます」
- 来ない
「70年周期で……」
- 来ない
「30年以内に発生確率70%」
- 来ない
「20年以内に……」
- 来ない
- 気象庁 「関東大震災から100年」特設サイト(www.data.jma.go.jp/eqev/data/1923_09_01_kantoujishin/)
- 関東大震災映像デジタルアーカイブ(kantodaishinsai.filmarchives.jp/)
上記気象庁HPから図拝借。『1923年から100年間の間に発生したマグニチュード4.5以上の地震の震央』
震源地は相模湾北部から丹沢山地。翌9月2日も房総半島の南沖合でM7.3。
最初のM7.9、深さ23kmの地震の震源位置はプロットしてみると丹沢山地よりも南の酒匂川(足柄平野)、開成町あたりになるが、細かな位置は昔から諸説ある。
いずれにせよ相模湾の相模トラフに続いている。
フィリピン海プレートと北米プレートの境界。
関東大震災より前の関東地方のM8クラスの大地震は、
1703年の元禄関東地震。相模トラフ地震。
富士山噴火と関係ある1707年の宝永大地震もM8クラスだが、こちらは西の東南海の地震。いわゆる南海トラフ地震。
1850年代の安政地震は安政年間の地震の総称。うち1855年の安政江戸地震はM7クラス。
(大正)関東大震災と元禄関東地震は220年間隔だが、タイプが異なるとのこと。
M7クラスの関東大地震はいつか来るが、M8クラスはもう100年ぐらい後らしい。
当時の震度は6までしかなく、神奈川、東京、千葉、埼玉、山梨で震度6。
神奈川、千葉の沿岸部や東京都心東部では(現在の)震度7相当の揺れだったと推定されている。
房総半島および神奈川の相模湾沿岸部が隆起して、丹沢山地が沈降した。
被災地
死者・行方不明者は約10万5000人。うち神奈川が3万人超、東京が7万人超。
大半(9万人超)が火災による死者。
火を使う時間帯だった、強風が吹いていた、……。
特に惨事となったのが東京・両国の現・横網町公園。
※ 本所区。現・墨田区
陸軍被服廠(しょう)が移転した後、その跡地に周辺の人々大勢が避難したものの火災旋風に遭って亡くなった。犠牲者38000人以上。
公園内の東京都復興記念館に資料・遺品が展示されている。
公園、震災記念堂(現・東京都慰霊堂)は1930年開園、開館。
復興記念館は1931年開館。
2F中央展示室の床がミシミシ鳴って、昭和に戻った感じがする。
復興記念館の展示は関東大震災がメインだが、東京大空襲(1945年)も展示。
東京都慰霊堂
両国一帯は明暦の大火(1657年)でも大きな被害が出ている。
一帯は地震、火事、オヤジの3つの超大変を経験している。
他の東京の被災地
下町6区(神田区、日本橋区、京橋区、浅草区、本所区、深川区)の80%以上が焼失。
※ 千代田区の一部、中央区、台東区の一部、墨田区の一部、江東区の一部
・ 横川橋 ・・・ スカイツリーの南
『火から逃げ惑う人々で混乱を極めた「第二の被服廠跡」』
・ 浅草 凌雲閣(通称「十二階」) 倒壊
当時高さ日本一(52m)のタワー
・ 新吉原花園池跡
・ 上野公園 大仏殿倒壊、上野大仏損傷
・ 大手町 震災イチョウ
・ 銀座煉瓦街 壊滅
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日比谷 帝国ホテル(ライト館) 開業日に大震災。
耐えた。
現在、一部が博物館明治村(愛知県犬山市)に移築されている。
神奈川の被災地
神奈川は沿岸部から内陸部、広範囲で壊滅的被害。震源から近く、家屋倒壊、土砂災害、津波などは一番被害が出ている。
横浜 壊滅的被害。死者・行方不明者23000人ないし26000人超。
関内・山手の開港以来の建造物も悉く倒壊。
独占していた生糸貿易は、以降、兵庫・神戸からも輸出されるようになった。
・ 瓦礫による海岸埋立地が山下公園
1930年開園
・ 高島にあった横浜駅(2代目) 倒壊
・ 横浜刑務所 約1000人一時解放
約300人戻らず
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・ 秦野・中井 震生湖誕生
・ 小田原 片浦
米神 土石流
根府川 崖崩れ、地すべり
根府川駅と通行中の列車が海まで流された
・ 鎌倉 神社・仏閣倒壊
・ 逗子・小坪 津波
・ 三浦・三崎と城ヶ島が地震直後6m隆起して数日間歩いて渡れたと伝えられる。その後沈降(全体としては隆起)
・ 浦賀 崖崩れ
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その他
千葉・房総半島は館山、富浦で大きな被害(主に家屋倒壊)。
館山湾の高ノ島が隆起して地続きになった。
静岡は伊豆半島東岸、小山(足柄)で大きな被害。
などなど。
津波は先の気象庁HPによると
『三浦半島から伊豆半島東岸に高さ数m以上』
『早いところでは地震後5分程度で津波が襲来し、津波の高さは静岡県の熱海で12m、房総半島の相浜で9.3m』
津波による人的被害は比較的抑えられている。
海岸の隆起および高台避難による。
大地震はいつか来るが、
関東大震災は火災、2011年の東日本大震災は津波で多くの人が亡くなっている。
二次災害を抑えたい。
建造物の耐震性、耐火性は昔よりも向上した。
延焼を防ぐ大通りも各所造られた。
その一方、都市の立体化(高層~地下)、より一層の人口過密化、外国人の増加などなど大きく様変わりして、まだ時の試練を十分経ていないので、実際どうなるか分からない面も多い。
ただ、過密になれば身動きとりにくくなることは明白なので、日頃から生活必需品を備蓄しておく必要がある。
関東大震災は東京で犠牲者が出すぎている。なかでも両国の惨事は極めて特異。街全体が壊滅した横浜を上回る犠牲者が出ている。
安全と思っていたところが安全ではなかった---
首都圏の麻痺が日本全体の麻痺にならないような態勢(首都機能バックアップ)が欠かせない。