【石川・金沢】 金沢駅~金沢城

CENTRAL(中)

 2025年2月20日。先週の寒波より低温。
 2月21日 石川県大雪。能登南部(宝達志水)で顕著な大雪。
 3連休も日本海側大雪予想。


 初めての金沢は、定番どおり、
 中心部の金沢城、兼六園めぐり。

 金沢駅周辺に宿があり、夕食後、駅の金沢百番街徘徊。お菓子がいっぱい。
 金沢は日本三大菓子処。あと2ヶ所は京都、松江。
 あんころ餅などGET。

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金沢駅~金沢城

 金沢城は金沢駅から少し離れている。
 金沢駅通りをまっすぐ歩いて、武蔵ヶ辻。

 武蔵ヶ辻   → むさし(武蔵商店街振興組合)(kanazawa-musashi.com/)
  金沢エムザ
  近江町市場
   「金沢の台所」
  かなざわはこまち

 東へ行くか南へ行くか。

 東側の橋場町を経て石川門から入った。
 石川県菓子文化会館につられたのだと思う。
 ※ 文化会館は閉館後、柳宗理記念デザイン研究所
   隣の泉鏡花記念館とともに再整備予定。「木の文化都市」推進計画

 橋場町周辺
  主計町(かずえまち)茶屋街
   浅野川対岸は東山
  金沢蓄音器館
  大樋美術館
   ■ 大樋焼
  武家屋敷 寺島蔵人邸
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 武蔵ヶ辻から南は香林坊、片町方面。
 金沢城の西に尾山神社(www.oyama-jinja.or.jp/)。
  加賀藩祖・前田利家、お松の方を祀る。
  和・漢・洋折衷様式の神門。

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金沢城[公園]

 1583年、前田利家、能登・七尾(の小丸山城)から金沢へ入城。
 加賀国は富樫氏の後、100年近く一向宗(浄土真宗)の拠点。金沢はまだ寒村で御山ないし尾山と呼ばれていたらしい。
 一向宗は織田信長と争った。1580年、一向宗・本願寺の金沢御堂(尾山御坊)陥落。その跡が金沢城。
 なお、1580年、一向宗は織田信長と講和。石山本願寺の跡が大坂城(大阪城)。
 石高が高いと徳川将軍家に目つけられてしまうが、前田家は利家の子・利長(加賀藩初代藩主)以降、苦心しながらも代々徳川家と親密な関係築いて、「加賀百万石」。
 ちなみに加賀の次が薩摩77万石。
 前田利常(2代藩主、3代目当主)おもろい殿様。

金沢城公園(www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/)

 金沢城は江戸時代、たびたびの火災で、本丸から二の丸中心に変化。その二の丸に菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋・橋爪門続櫓がある。2001年復元。

 ▼ 菱櫓(奥)・五十間長屋・橋爪門続櫓(手前)

金沢城

 菱櫓は菱形の櫓。柱も床も菱形に組まれている。

 出窓は正面だけでなく、横の敵も撃てる。床から石落とすこともできる。

 復元して間もない頃、「利家とまつ」、「加賀百万石博」の頃訪問。橋爪門一の門はあったが(上の写真の橋爪門続櫓の右下)、二の門はまだなかった。

 1995年まで金沢大学キャンパス。
 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元されるまで残っていたのは石川門、三十間長屋(本丸園地の西)、鶴丸倉庫。
 なので石川門が長らく金沢城のシンボル的存在。
 石川門最大の櫓(石川櫓)も少し菱形の菱櫓とのこと。

 2010年、河北門復元。
 2015年、橋爪門二の門復元。金沢城の西、玉泉院丸庭園開園。いもり坂口が玉泉院丸口に改称。
 2017年、鶴の丸広場に鶴の丸休憩館OPEN。
 2020年、金沢城の西、鼠多ねずみた復元。尾山神社と接続。

 本年(2025年)から二の丸広場に二の丸御殿復元工事着手。
 2024年能登半島地震で、城内の石垣が崩落。復旧工事中。

 本丸園地(本丸跡)の北東・丑寅(うしとら)櫓跡が展望台。

 ▼ 丑寅櫓跡から三の丸方面

金沢城
左下=鶴丸倉庫

 三の丸から河北門の北、新丸広場。
 大手門口、黒門口がある。
 黒門口と近江町市場の間に尾﨑神社。もと金沢東照宮。

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ふシゼン
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