【鎌倉_横浜金沢】 野島 ぶらり島歩き -野島公園-

EAST(東)

 横浜最南、金沢・野島(のじま)のページ。

 ▼ 金沢八景の浮世絵「野島夕照せきしょう」(歌川広重)

金沢八景「野島夕照」
金沢文庫の隧道にて

 奥の島が夏島(横須賀・追浜)。右のトンガリ岩が今はなき烏帽子岩。

 夕日さん・・・読めない。

夕日さす 野島の浦に ほすあみの めならぶ里の あまの家々

 野島は古い地図を見ると洲崎から地続き。水路(運河)開削で島と化したように見えるが、元々は江ノ島のような陸けい島だったよう。

  •  海の公園 - 野島公園駅 - 野島
  •  平潟湾プロムナード - 夕照橋 - 野島

 最寄の駅は横浜シーサイドライン 野島公園駅。

 ▼ 野島橋から野島公園駅、水路(運河)

野島公園駅
奥=八景島(左のタワーはもうない)

 野島橋を渡って野島上陸。
 「島寿司」など。

 野島橋から住宅地を直進すると公園管理センター。

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野島公園

 島の東半分が野島公園。

 公園管理センターから第一P(駐車場)へ。旧伊藤博文(ひろぶみ)金沢別邸の前(庭園入口側)。
 ここから野島山、野島海岸に道が分かれる。

 野島公園駅から旧伊藤博文金沢別邸までは野島橋を左折して運河、海岸づたいに徒歩約5分。

旧伊藤博文金沢別邸

 茅葺屋根の海浜別荘。
 伊藤博文は1885年(明治18年)初代内閣総理大臣就任。長州の出。
  ※ 内閣制度の前は太政官(だじょうかん)制で、太政大臣・三条実美(さねとみ)。公家
    明治維新後、実権握っていたのは大久保利通(としみち)。薩摩の出
 こちらの別荘などで大日本帝国憲法(明治憲法)の草案づくり。
  ※ 明治憲法は1889年(明治22年)発布。プロイセン王国(のちドイツ)憲法を参照
 戦後の日本国憲法も日本人が草案づくりしたが、出来がいまひとつで、GHQも草案つくって、結局……

 ババンババンバンバン

オオバン
3月

 オオバン。カモのようだがクイナ科。

 明治憲法草創の碑は(金沢八景駅近くの)瀬戸橋の東、洲崎にある。
 明治時代初期、富岡など金沢に政治家の別荘が設けられた。

 ▼ 別荘から

旧伊藤博文金沢別邸から
左=八景島(左のタワーはもうない)、右=夏島町

 庭園に牡丹(ボタン)園。4月、ぼたんまつり。

 別荘から南東、野島海岸は横浜市に残る唯一の自然海浜。
 ヨコハマの隅っこ、ほぼヨコスカ。ダメじゃん。
  ※ 海の公園は人工海浜。海の公園~野島の海岸は乙舳(おっとも)海岸

 別荘から野島山は写真が増えたので別ページへ。

 公園管理センターの南に青少年研修センター。
 住宅地に入り込むと迷うかも。

 夕照橋(ゆうしょうばし)の南に舟屋(釣り船屋さん)が並んでいる。
 海苔の直売所など。

 ▼ 夕照橋の傍、新修丸から野島水路

夕照橋の傍から野島水路

 水路の奥のほうにベイスターズの横須賀スタジアム。

 夕照橋を渡った対岸も野島公園の一部。室ノ木地区。

 夕照橋は現在の橋が4代目。初代が1944年完成で、それまでは渡し船とのこと。
 車の交通量結構多い。

 夕照橋から金沢八景駅へ平潟湾プロムナードが続く。

 ▼ 平潟湾を横断するシーサイドライン

平潟湾を横断するシーサイドライン

 ▼ 平潟湾プロムナードから野島・夕照橋

平潟湾から野島・夕照橋

 野島の浦に あまの家々

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ふシゼン
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