金沢城から兼六園
金沢城の石川門口から
お堀通り(百間堀通り)、蓮池門通り、茶店通り
を挟んで庭園・兼六園。
▼ 金沢城・丑寅櫓跡から
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奥は卯辰山。
▼ 茶店通りの茶店
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兼六園の奥の山は戸室山。その奥は医王山方面。
左のほうに見える白い塔は奥卯辰山の仏舎利塔。
茶店通りは古都・京都っぽく感じたが、別名・江戸町通り。
茶店は兼六園園内にも点在。
兼六園めぐり
- 兼六園 → 兼六園めぐり(kenrokuen.or.jp/)
日本三名園の一。あと2ヶ所は水戸の偕楽園、岡山の後楽園 - 金沢城兼六園商店会(kanazawajo-kenrokuen-shotenkai.com/)
17世紀後半、前田綱紀(4代藩主、5代目当主)が造った蓮池庭(れんちてい)が始まり。
「宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望」の六勝を兼備することから、兼六園と命名。文政5年(1822年)、[奥州]白河藩主・楽翁公が命名、
とのこと。白河楽翁=松平定信。
金沢城の石川門口から向かいの桂坂口へ。
近くに桜ヶ岡口、茶店通り沿いに蓮池門口、さらに先・西に真弓坂口、南に随身坂口、小立野口、東に上坂口。出入口は計7ヶ所。
公式HPによると、おすすめは時計まわり
とあるが、
噴水見て、瓢(ひさご)池、……で、反時計まわりに一周。
日本最古の噴水
上に位置する霞ヶ池との高低差(自然水圧)を利用。
夕顔亭
茶室。園内最古の建物。
瓢池に流れる翠(みどり)滝
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時雨(しぐれ)亭
もと藩主の別荘。2000年復元。
山崎山
一番奥、兼六坂上。ここから川が霞ヶ池へ流れている。
川(曲水)は辰巳用水を利用。
辰巳用水は前田利常の命で、板屋兵四郎という測量に長けた技術者が開削。金沢城の防火用水。
10km以上離れた犀川から取水。約4kmの隧道(トンネル)区間がある。
花見橋、雁行橋、月見橋、……
眺望台
園内のマツは雪吊りが施されていたが、3月、雪はなかった。
霞ヶ池
中央に蓬莱島
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琵琶湖と竹生島に見立てて造られたとのこと。
2本脚の徽軫(ことじ)灯籠と虹橋(琴橋)が兼六園のシンボル的存在。
桜ヶ岡口、桂坂口からすぐだが、反時計まわりだと最後。
ひと昔前の案内書見ていたら、噴水を『造った者は完成後暗に葬られたと伝えられている』と書かれていた。
1861年、藩主・前田斉靖(なりやす)の時とあるので、板屋兵四郎の時代ではない。
ともかく兼六園は金沢城を守るための出城的役割があったらしい。
兼六園・桂坂口、金沢城・石川門口周辺
石川県観光物産館
玉泉園/加賀友禅会館(加賀友禅ミュージアムそめりあ)
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兼六園の南、随身坂口周辺
いしかわ生活工芸ミュージアム(石川県立伝統産業工芸館)
成巽閣(せいそんかく)
金城霊澤/金澤神社
金沢の名の由来。
菅原道真が祀られている。前田家の先祖。家紋は梅鉢紋。
本多の森公園
博物館、美術館などいろいろ
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