鎌倉のページから鎌倉[街]道の部分をこちらのページに移した。
各地から鎌倉に至るルート。
・ おおむね[古]東海道 --- 伊豆、駿河方面
… 三島 … 《湯坂路(鎌倉古道)》 … 箱根 ・湯本 … 二宮 … 大磯 … 茅ヶ崎 … 片瀬・腰越 … 極楽寺坂切通 - 長谷 - 鎌倉
・ いわゆる矢倉沢往還(大山道の一部) --- 駿河、甲州方面
… 小山・竹之下 - 足柄峠 … 関本 … 小田原・曾我 … 二宮
・ 六浦道など --- 房総方面
木更津など ~海路~ 六浦など
・ 上道(かみつみち) --- 比企・秩父、上州、信濃、越後方面
… 高崎 … 嵐山・菅谷 … 入間川 … 狭山・堀兼 … 所沢 … 府中・関戸 … 町田 … 瀬谷 … 《かまくらみち 14-402》 … 俣野 … 仮粧坂 - 鎌倉
・ 中道(なかつみち) --- 奥州白河方面
… 小山 … 古河 … 岩槻 … 鳩ヶ谷 … 渋谷 … 世田谷 … 二子 … 荏田 … 中山 … 二俣川・鶴ヶ峰 … 戸塚・柏尾 … 永谷 … 《鎌倉街道 14-21》 … 大船・小袋谷 - 山ノ内 - 亀ヶ谷坂、巨福呂坂 - 鎌倉
・ 下道(しもつみち) --- 常陸、房総方面
… 松戸 … 浅草 … 品川・高輪 … 丸子 … 保土ヶ谷 … 弘明寺 … 《鎌倉街道 14-21》 … 永谷
上記以外にも推定ルート有り。
同時代の中世の史料に「鎌倉街道」と記されているわけではなく、のちの時代の推定。道幅も狭く、不明な点も多い。
神奈川県立公文書館のミニ展示「畠山重忠と二俣川」にあったルート図(鎌倉街道要図)を拝借。
左下に
峰岸純夫「鎌倉街道上道-「宴曲抄」を中心に-(『多摩のあゆみ』第92号 たましん地域文化財団 平成10(1998)年)掲載「鎌倉街道要図」より作成
とある。
西から上道、中道、下道。
中道の東京都の範囲は複数のルートがあるようだが、上の地図に記されていない渋谷~荏田を結ぶルートが数多く紹介されている。
二子玉川で多摩川を渡る。
畠山重忠の鎌倉の居館は鶴岡八幡宮の東にあったが、最期を迎える二俣川合戦の前は菅谷に居た。
菅谷館跡は埼玉県比企郡嵐山(らんざん)町。
出身地はもっと北の川本。現在の深谷市(熊谷の西)。
重忠一行は陰謀とは知らずに菅谷から鎌倉へ向かったが、パネルの説明によると多摩川の関戸(せきど)で合戦になっていた可能性もあったようです。
関戸は多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅周辺。
その対岸(多摩川北岸)が府中。武蔵の国の中心。
1333年、この一帯で上州(上野)の新田軍が北条軍に勝利して南進、鎌倉幕府滅亡に至った。