前回(神奈川県)同様、東京都について1989年(平成元年)の市町村界、1889年(明治22年)の市町村界および郡界を描画。
島嶼部を含む。
1989年
現在までに変わった市町村を色塗り(橙色)。
西東京市とあきる野市。
羽村市、新島村は町から市、名称変更(黄色)。
1889年
上図は現在の東京23区の範囲。
他に島嶼部(伊豆諸島・小笠原諸島)。
伊豆諸島は1878年から東京府。その前は静岡県。
西部の三多摩(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)は、1893年(明治26年)、神奈川県から東京府へ。東多摩郡は1889年から東京府。
1943年、東京府は東京都、東京市は特別区(35区)へ。1947年、35区から23区へ。
筑波大学 歴史地域統計データを利用した。
ざっと見た感じ東京湾岸の地形が大きく違っているようなので、
Geoshapeリポジトリ - 歴史的行政区域データセットβ版(geoshape.ex.nii.ac.jp/city/)
の国土数値情報の1920年のデータを使って少し改変。
※ 国土数値情報の元データは国土交通省
芝区、京橋区、深川区、砂村のデータをGeoshapeリポジトリの1920年データで入れ替え。境界に重複・空白箇所が少しできた。
羽田村、品川町、葛西村の海に張り出している部分を削った。
※ QGISのベクタ - 空間演算ツールの差分、融合
ただ、どこまで合っているか分からない(細かいところまでは見ていない)。
上の歴史的行政区域データセットβ版のHPに説明があるように
『補助データとしてご活用』
他にも詳しく説明されている。
1920年、第1回の国勢調査。この時から近代統計調査がスタート、とのこと。
1889年の東京市は15区から成るが、今日の23区と同名の区がない。
千代田区は麹町区+神田区など。
東多摩郡と南豊島郡は豊多摩郡を経て東京市区へ。淀橋町(南豊島郡)は今日の西新宿。
東京市15区は今日の23区より狭い範囲。江戸[城下町]と呼ばれていた範囲に近い。
今日、東京都の人口約1400万人。うち23区が約980万人。約7割。
先日公表の出生率(厚生労働省 人口動態統計 合計特殊出生率)によると東京都は0.99で最低。増えたら増えたで益々過密になるが、短期間でガクンと減ってしまうこともある。
江戸っ子の子孫は「絶滅危惧」とも聞くが、
東京っ子の声は都政に反映されているだろうか。
東京っ子以外の人が東京っ子を押し退けて
好き勝手なこと言っていないだろうか。
遷都(たとえば福島とか山梨とか)
や
分割(たとえば23区を46分割して46道府県の飛地にする)
もありだと思う。