2021年考古 先史時代の南洋(沖縄など) -前編-

TIME(歴史)

 今年もいくつか気になる考古ニュースがあった。上手くタイムリーに取り上げることができていないが、南洋(沖縄など)の先史時代(旧石器・縄文など)について考えさせられる点がいくつかあったので整理した。

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その1

 まず、先日取り上げた『トランスユーラシア語族の拡散 -遼河から日本列島へ-』に関連して、沖縄先島諸島・宮古島の先史人について---。

 DNA分析の結果、北方の縄文人と100%一致
とか
 南方説(南方からの渡来)と矛盾
といった具合に報じられていた。

 論文の中身を読むと

  •  縄文(千葉・六通貝塚)と夏家店上層の割合で、
     Nagabaka late 宮古島 長墓遺跡 -先史(約2800-2700年前)-
     は縄文100%
  •  タイワン(台湾)からのオーストロネシア語族の渡来を否定

とのこと。ややこしいが、
 北方から宮古島へ渡来したことが確定
とか
 南方からの渡来が全否定された
ということではないと思う。

 先島諸島の先史時代は、
 (本土の)縄文相当期に土器が使われ、
 その後、無土器の時代に貝斧(かいふ)などの貝製品が作られているが、
 フィリピン~インドネシア方面との関連が指摘されている。
 土器のほうは沖縄本島との関連も指摘されているが、
 南方からの渡来が否定されたわけではない。
 ただし、その担い手はタイワンからのオーストロネシア語族とは違う人々とみられる---。

 北方から沖縄への移動・渡海は、黒潮や対馬海流を見ると、その逆(沖縄から北方)以上に難しかった(であろう)。
 沖縄における「国家」誕生は、13-14世紀頃。本土と1000年以上のタイムラグがある。
 11世紀後半(本土は平安~鎌倉)からグスク時代とされるが、それ以前は(おそらく)大方縄文。
  ※ 縄文時代は沖縄の区分だと貝塚時代

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その2

 南方から北方への渡海も容易とは言い難く、
 ・ 与那国島~タイワン ・・・ 与那国海峡
 ・ トカラ列島
を黒潮が流れている。

 大陸からの文化が南西諸島の島々を点々と北上した形跡はほぼない。しばしば言及される柳田国男氏の「海上の道」も(現在詳しく知られるようになった)稲作の伝来ルートとは異にする。
 ただ、弥生~古墳時代に南海産の貝が北方(九州以北)へ運ばれている。
  ※ 沖縄の区分では貝塚時代
 また、縄文時代/縄文人に限っては沖縄から北海道まで割と一様につながっていたようなので、
 「海上の道」自体はあった。

 今年、沖縄本島南部の港川人に関するニュース(DNA分析結果)があった。

東邦大学 プレスリリース 発行No.1140 令和3年6月16日(www.toho-u.ac.jp/press/2021_index/20210616-1140.html)

 港川人は八重瀬町港川フィッシャー遺跡で見つかった旧石器時代人。
 おおよそ2万年前。

 縄文(時代の)土器の最古のものが16500年前の青森のものなので(外ヶ浜町大平山元遺跡)、土器に着目してみると北方から南方へ拡がっていったようにみえるが、

 ・ 「海の民」は容易には生まれない
 ・ 北方から沖縄への移動・渡海は、その逆(沖縄から北方)よりも困難

と考えると
 沖縄の港川人は位置および年代的にみて前縄文(プレ縄文)的に思える。

 縄文人にそっくり
 否、縄文人とは違う
 縄文人よりも原始的で縄文人の祖先である
 否、祖先でないかも
といった具合に見方が遷り変わり、
 今回も縄文人の祖先であるとか祖先でないとか報じられ方が錯綜気味だったが、
 大枠では縄文人の祖先。

 今回の港川人の分析結果は、ミトコンドリアDNAのハプログループ(型):M。

 縄文時代/縄文人に多い、とされているのはM7a、N9b。
 M7aは沖縄から北海道まで拡がっていて、日本列島共通の基層になっている。

 確かに縄文人の祖先か否かの伝え方は難しい。男系・女系・“無系”が理解されないのと似ている。

  •  M7aはMのサブグループだが、同じではない
  •  男=M、女=Nの場合、(ミトコンドリアDNAは母系遺伝なので、)その子=Nになるが、M男はN子の祖先(父)

 港川人は少々縄文人とは違うが、祖先でないとは言えない。

 <港川人の復元>

  •  沖縄県立博物館・美術館のコラム - 港川人(新型)(https://okimu.jp/museum/column/090/)に2007年製作と2014年製作模型の写真
     下顎が縄文人より華奢だというが、ボクシング強そうな風貌
  •  国立科学博物館(東京・上野)製作の復元図(2010年)はもっとアボリジニ風
     次のHPに新旧載っている
      ハイサイ人類学 … 港川人の顔が変わった その1(m50.ti-da.net/e3022283.html

 港川人は小柄。

 ついでながら先島諸島・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)遺跡(新石垣空港)で見つかった約2万年前の旧石器時代人(白保人)のミトコンドリアDNAハプログループはM7a、B4e、Rになっている。
  ※ DNAから見た日本人の起源 -日本人成立の経緯- / 国立科学博物館 篠田謙一を参照
    ハプログループB、RはNから分岐

 <白保人の復元>

  •  鳥取大学医学部HP … 「国内最古の後期旧石器時代人骨の頭蓋復元と復顔に成功」(www.med.tottori-u.ac.jp/genmorph/24092.html)に写真が載っている。2018年の記事
     年代は27000年前。2700ではなく2万7千

 なかには港川人より身長が10cm以上高い人もいた。

 比較的一様に見える縄文時代/縄文人も、近年は地域ごとに差違を見出すことができるようになっている。
 旧石器時代から既に沖縄・南洋は多様だった---。

 つづく。

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ふシゼン
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