春のうら~ら~
春終わり。
梅雨明け。
暑いです。
前回の続き。
季節感合っていないブログですが、サラリと流してください。
待乳山(まつちやま)
以前浅草に来た時は浅草寺本堂から西、花やしきへ向かったが、今回は隅田川方面へ散歩。
パンフの池波正太郎生誕地碑の文字が目に留まって、魅かれるように待乳山へ足を伸ばした。
池波小説面白い。
剣客商売面白い。
ということで待乳山“登山口”到着。待乳山聖天。
周辺のかつての町の名は聖天町。「しょうでん」だが、「しょうてん」でも間違いではないようだ。
標高10m。
待乳山は真乳山、真土山とも記されている。
聖天様(大聖歓喜天)は観音様の化身で、
「鎮座のいわれ」によると浅草観音様と同じく飛鳥時代・推古天皇の時代にこの地に現れた。
大根をお供えすると良いらしい。大根が並べられていた。持ち運んでいる人もいた。
モノレール(さくらレール)もある。上の写真の左下。
▼ 上から
待乳山の北の橋場や大川(隅田川)対岸の鐘ヶ淵が、剣客商売の主人公・秋山父子が暮らしていた所。
台東区立中央図書館内に池波正太郎記念文庫がある。
西浅草のかっぱ橋(合羽橋)道具街沿い。
- 浅草寺本堂 - 馬道 - 言問橋 - 待乳山 - 桜橋
隅田川散歩
待乳山近くの桜橋から下流に向かって散歩。
- 白鬚橋 - 桜橋 - 言問橋 - すみだリバーウォーク - 吾妻橋 - 駒形橋
両岸ともに隅田公園。左岸の墨田区向島側が墨堤(ぼくてい)。
桜橋/水上バスのりば(東京水辺ライン)
桜橋は平面がXの橋。隅田川に架かる橋の中では比較的新しい。歩行者専用。
言問橋
東京スカイツリーへ続く橋。とうきょうスカイツリー駅は旧業平橋[駅]で、「言問」も業平ゆかり。
在原業平は平安時代の歌人。伊勢物語の「をとこ」。
名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと
この歌だけだと分かりにくいが、をとこ、京(都)からあづま(東国)への長旅の末、大きなる河(隅田川)に辿り着き、思えば遠くへ来たものだと京を恋しく思っている時に京では見掛けない水鳥の名が「都鳥」と知って「名にし負はば……」と続く。
ミヤコドリという名の鳥もいるが、歌の「都鳥」はユリカモメのことらしい。
右上の鳥がユリカモメ
--- まさか本当にここが都になるとはね
珍しい鳥ではないので、京都にもいるのでは、と思って調べてみたら、今はいるけど昔はいなかったらしい。
ちなみに言問団子の店は上流の桜橋を渡った向島側にある。
♪ ~眺めをなににたとうべき
「花」が作られた時とは眺めが違っているようです。
隅田公園オープンカフェ/浅草二天門水上バスのりば(東京水辺ライン)
すみだリバーウォーク/東武浅草駅
2020年から線路の下を歩いて東京スカイツリーまで行けるようになった。東武の列車が鉄橋をゆっくりと走っている。
東武浅草駅は(百貨店の)松屋とEKIMISE(エキミセ)(ekimise.jp/)。屋上は浅草ハレテラス。
人の流れに身を任せ……
リバーウォークを渡りかけたところで歩を止めた。
やっぱり戻って右岸を歩く。
うん、このアングルが欲しかった。
アサヒビールのビルとホールです。
追)ホールのオブジェは炎。
吾妻橋/銀座線浅草駅/水上バスのりば(東京都観光汽船)
雷門の近く。
昔、初めて浅草を訪れた時、浜離宮から水上バスに乗ってここで下りた。対岸には既に泡オブジェがあったが、時の流れを感じさせない。
追)泡ではなく炎でした
駒形
駒形橋/浅草線浅草駅
駒形堂がある。
浅草寺の観音様が現れた(発見された)と伝わる地なので、「浅草寺発祥の地」とも言われる。
現在吾妻橋の近くにある「雷門」は、当初こちらの駒形橋の近くに建っていたとのこと。
観音様の発見は飛鳥・推古天皇36年(628年)、檜前(ひのくま)兄弟による。
檜前(檜隈)という名は奈良・飛鳥(明日香)とのつながりを感じさせるので、
観音様は飛鳥から浅草へ伝来したに違いないと思うが、まだ「国家仏教」化していない早い時代に(おそらく海から)ひとっ飛びして来たように見えるので特異な感じがする。
もっと前から交通の要衝だったと推測できるが、律令国家成立頃の浅草は「檜前の馬牧」でもあった(らしい)。
- 浅草むぎとろ ・・・ とろろ料理
- 世界のカバン博物館
次の橋は厩橋。
なお、浅草橋はもっと下流の神田川に架かる橋。