今回もイギリスつながり。
神奈川を走る京浜急行(京急)に安針塚(あんじんづか)という駅がある。
三浦按針(安針)=ウィリアム・アダムス。
三浦一族ではなくイギリス出身です。
江戸幕末、黒船来航の後、開国した日本だが、
戦国時代から江戸初期・徳川家康の時代も思いっきり開国状態でした。
1600年、豊後(今の大分)の臼杵にオランダ船リーフデ号が漂着して、按針さんはその一員でした。
なかなか悲惨な大航海だったようで、
命からがら日本に漂着した後も先着組のポルトガル、スペインの宣教師から疎まれて、……
※ ポルトガル、スペインがカトリック
オランダ、イギリスがプロテスタント
両者は対立していた
しかし、有能な人をほうっておかなかったのが家康殿でした。
妻子のいる母国に帰りたがっていた按針さんをあの手この手で引き止めて、
結局、按針さんは1620年に長崎の平戸で波乱の生涯を終えました。
イングランドの王様は1603年からジェームズ1世。
1613年、ジェームズ1世の親書を携えたクローブ号(イギリス東インド会社の商船)が平戸に来航。この年が日英交流元年とされています。
実のところ、按針さんはクローブ号に乗って帰国することもできました。
が、帰国しませんでした。
なお、
ジェームズ1世の前がエリザベス1世。
ジェームズ1世の後がチャールズ1世。ピューリタン革命(清教徒革命)で議会派に処刑されてしまった王様です。
塚山公園
以上踏まえて安針塚のある塚山公園へ---。
安針塚駅を出て左へてくてく歩く。
途中、道案内は見当たらなかった(もしくは見落とした)。
やがて左へ上る坂道に出合う(坂の上は安針台)。
どちらでも行けるようだが、そのまま直進。
さらに二手に分かれるが、高いほうへ進んでいくとだんだん傾斜が急になってきつくなる。
※ もう片方は十三峠方面
住宅が途切れて行き止まりのようにも見えたが、細い道があったので突き進む。
山道。
建物が見えて公園に出た。駅から30分弱。
体力落ちていること実感。
後で知ったことだが、安針塚駅にある京急ストア隣のエレベーターを使って安針台(の上)に上がり、てくてく歩くルートもある。
- 安針塚駅 - 安針台 - 塚山トンネル上 - 塚山公園
- 安針塚駅 - 安針台下 - 塚山公園
本町山中道路の塚山トンネルの上が塚山公園。最高所の標高133m。
▼ 塚山公園にあった地図に安針台の道などを付け加えた
▼ 安針塚(按針塚)
現地の案内によると遺言により建てられた按針夫妻の供養塔(宝筺印塔)。
長崎・平戸の崎方公園に伝・按針墓がある。近年調査が行われた。
隣の見晴台へ「登山」。山頂っぽい。
▼ 見晴台から横須賀市街方面展望
猿島が見える。右手に観音崎。房総半島はうっすら。
▼ 見晴台から横須賀港(本港)・基地方面
山側も見晴らせるが、この日はあいにく曇天だった。
公園内の「さくら谷」は、春、桜の名所。
横須賀にも「港の見える丘」。展望デッキ有り。
公園から少し下った塚山トンネル出口(料金所側)上で、安針塚駅方面(安針台方面)と逸見(へみ)駅方面の道が分岐(合流)している。
※ 横須賀市街~横須賀ICの本町山中道路は、2022年3月、無料化
三浦按針は徳川家康から逸見を領地として与えられた。
逸見にある浄土寺が菩提寺で、近くに屋敷跡があったらしい。
したがって、逸見駅のほうが安針塚の「表玄関」。
ただし、距離・所要時間ともに大して差はなさそう。
実現しなかったが、江戸初期に(近くの)浦賀を国際港にする計画があったという。
ついでながら浄土寺は畠山重忠建立、とある。
安針台から横須賀港へ
写真左の安針台のマンション群(コモンヒルズ安針台)を縫うように歩いて下った先が安針台公園(海の手公園)。結構長く感じた。
- 安針台 - 安針台公園(海の手公園) - 吉倉公園
1年近く前(2021年9月)、(イギリスの)クイーン・エリザベスが来航した時なので、ざわざわしていた。
豪華客船ではなく空母(航空母艦)のほう。
※ HMS Queen Elizabeth
全長約280m
満載排水量約65000トン
2021年5月にポーツマス出港
海上自衛隊の艦船が並んでいる隙間からちらりと見えたが、基地停泊中はあまり見えない。
JR横須賀駅前のヴェルニー公園からは船体の一部だけ。
衛兵のごとく(艦橋の)頭にある黒い「帽子」(レーダー)が目印。その左、艦首側のジャンプ台も見えた。甲板上の機体もちょっと見えた。
船体全体が見えたのは塚山公園から。離れているけど。
望遠。
艦橋は2つに分かれていて、左(前方)の「黒帽」が航海用、右(後方)が航空管制用とのこと。
つづく