北海道先住民 アイヌ考その1

TIME(歴史)

 2020年7月12日、北海道白老(しらおい)にウポポイ(アイヌ民族博物館など)(ainu-upopoy.jp/)がオープン。
 ということで、これまでアイヌ人について考えたこと等まとめ。

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アイヌ人について

 日本国民は日本人とアイヌ人。

 アイヌ人の人口は、『平成29年 北海道アイヌ生活実態調査』の調査対象人数が13118人、『平成25年……』が16786人。全数はもう少し多いとされるが、減少傾向。

 人口の半数以上が北海道胆振地方、日高地方。次いで釧路地方、根室地方、石狩地方。
 白老は胆振地方。
 他に日高平取・二風谷(にぶたに)、新ひだか・静内、釧路の阿寒湖アイヌコタンなどが有名どころ。

 昔から(明治時代、小シーボルトやベルツが論じて以来)、アイヌ人と琉球人(オキナワ人)が近縁と言われ続けて、その後の調査でも双方悉く縄文人に近縁という結果が出ている。

 ただし、アイヌ人しか有しない遺伝子もあって、アイヌ人と琉球人(オキナワ人)が同じというわけではない。

 一方、本州・四国・九州では弥生~古墳時代の渡来人が先住の縄文人と混血するなどして和人(ヤマト人)になった。
  ※ 「二重構造モデル」。のち概ね実証
    2021年、「三重構造モデル」が提唱された

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「アイヌらしさ」

 顔の彫りが深いとか毛深いといった縄文人のイメージだけなら日本人の中にも似た人はいるが、アイヌ人には

  •  日本語とは別系統とされるアイヌ語
  •  かつて白人(コーカソイド)に近いとも言われた風貌
  •  アイヌ人しか有しない遺伝子

といった固有の要素がある。

 現在北海道に残るアイヌ語由来の地名の中には、パピプペポの独特の響きを含むものがある。
 ピップ(比布)、オトイネップ(音威子府)、ウペペサンケ、ニセイカウシュッペといった類の地名は本州以南ではなかなかない。
 北東北だとタッピ(竜飛)とかアッピ(安比)とかある。
 ベップ(別府)は遠すぎるが、神奈川だとオッパマ(追浜)とかある。
 どこまで関係あるか定かでないが、東北・北陸ぐらいまでかな、と思う。

 当初、日本の他の地域と一線を画すアイヌ人固有の要素(以下「アイヌらしさ」としておく)は、日本列島が大陸と地続きだった旧石器時代、つまり最初から存在したと思っていた。

 だが、旧石器~縄文時代早期の遺跡が本州以南に多々あって、その担い手が北方からやって来た、というのであれば、「アイヌらしさ」は本州以南にも拡がって少しぐらい残っていてもよいはずだ。

 古代東北のエミシ(蝦夷)と北海道(蝦夷地)に住むアイヌ人の祖先は同じか否か---。
 エミシも毛深かったようだから同じだったのかもしれないが、エミシは西国にも拡がっている。ならば、「アイヌらしさ」も拡がって少しぐらい残っていてもよいはずだ……。

 要するに
 「アイヌらしさ」を有していないアイヌ人の祖先は本州以南に拡がっている(と考えられる)のに
 「アイヌらしさ」を有したアイヌ人の祖先は本州以南に拡がっていない
ように見えるのが個人的に消化不良だった。

 『アイヌは原日本人か / 埴原和郎、梅原 猛 / 1993 / 小学館』など読んでみたが、もやもやが晴れるところまではいかなかった。
  ※ 『アイヌは原日本人か』の対談は1982年
    埴原和郎 ・・・ 人類学者。1990年、日本人の「二重構造モデル」を提唱
    梅原 猛 ・・・ 哲学者。アレと思わないことはなかなかなかったが、スーパーな人だった。昨年(2019年亡くなられた

 その後、アウフヘーベン……。

 「アイヌらしさ」は旧石器時代ではなく、もっと浅い時代に生まれた、と考えたほうが辻褄合うように思えてきた。

アイヌ文化の時代区分

 大まかにみると

  •  旧石器時代
     遠軽町白滝の黒曜石遺跡群は約2万年前の遺跡。
  •  縄文時代
  •  続縄文時代
     北海道~北東北は弥生時代・古墳時代ではなく縄文時代の延長。
     稲作や古墳があまりない(北東北に少しある)
  •  擦文(さつもん)時代
     縄文(縄目)ではなく擦文(ハケ目)の土器が作られた時代。7-13世紀。
     本州以南の弥生時代のような位置づけになりそうだが、国家は生まれなかった。続続縄文。
企画展「オホーツク文化 あなたの知らない古代」にて。左が続縄文土器、右が擦文土器。いずれも岐阜第二遺跡(北見市)出土

 +

 オホーツク海沿岸(道北・道東)では続縄文~擦文時代に並行して独自の文化・オホーツク文化があった。5-9世紀頃。
 のち擦文文化と融合。
 道東はトビニタイ文化。9-13世紀。

 和人(ヤマト人)との交易も行われて13世紀頃、今日に続くアイヌ人の文化が成立した(とされる)。

 13世紀以前もアイヌ人の祖先の文化と言えるが、オホーツク文化が思っていた以上に「アイヌらしさ」に強く影響を及ぼしている、と思える。

 オホーツク文化の担い手は、しばしばオホーツク人と呼ばれているが、「海の民」の性格が色濃い。

 オホーツク文化については別に分けてまとめた。

 (ここでいう)「アイヌらしさ」が比較的浅い時代に生まれたとしてもアイヌ人が北海道の先住民であることに変わりない。

 これが「日本[列島]の」先住民と言ったときは誤解を生みがちだが、アイヌ人の祖先も日本人の祖先も縄文人になるので、どちらが先でも後でもない。アイヌ人のほうが縄文人に近いけど。

 『アイヌは原日本人か』の中で『アイヌは原日本人である』という項があり、『アイヌも和人も祖先は縄文人』と論じている。
 オホーツク人との関係よりも小進化で説明していたり、日本語とアイヌ語の関係など今日の見方とは異なる点も見受けられるが、論点の大枠は変わっていない。おそらく今後も変わらないだろう。

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ふシゼン
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