三崎・城ヶ島と並ぶ三浦の観光名所。南国感がある。
京急油壺マリンパーク(www.aburatsubo.co.jp/)
三崎口駅からバス 「京急油壺マリンパーク」下車
イルカ、アシカ、ペンギン、タカアシガニ、……
追)2021年9月末、閉館予定
開館は1968年なので半世紀で幕
ホテル京急油壺 観潮荘
小網代湾を眺めながら湯に浸かる。
湯が擦り傷にしみて痛い。
以前は海洋深層水も使われていたが、いつの間にか耳にしなくなって久しい。長井・ソレイユの丘にある風呂も同様。
海洋深層水は、三浦沖5km、水深330m付近から採ってマリンパークのタンクに貯水されていたが、今は「かわうその森」になっている。
追)「かわうその森」含むマリンパークは温泉、滞在型施設に変わる予定。2025年頃開業とのこと
2022年1月24日、京急油壺温泉キャンプパークOPEN予定(keikyu-camppark.jp/)
油壺温泉=観潮荘
追)2024年3月15日、観潮荘と京急油壺温泉キャンプパーク営業終了
たびたび利用させてもらいました
油壺一帯は15-16世紀の三浦一族の拠点・新井城。入口は「内の」引橋。
三浦義同(よしあつ)(道寸)ら三浦軍は、後北条軍との戦いで、内外の引橋を引いて戦ったが、3年間の籠城戦の末、1516年、落城した。
相模国平定。
3ビーチ
マリンパークから海岸へ下りる道があり、ぐるりと周遊できる。
三浦道寸の墓がある林の中を下りていくと胴網海岸(海水浴場)に出る。
道寸の子・三浦義意(よしおき)(荒次郎)の墓もある。
背丈7尺5寸の巨人。7尺としても2m以上。
自分の背丈より長い金砕棒を振り回す三浦軍の最終兵鬼。
討つだけ討って最後は自害。胴は胴網海岸、首は小田原へ。
胴網海岸から東へ磯伝いに歩いていくと横堀海岸(海水浴場)。
通常、観潮荘の手前から下りる。
胴網海岸から西へ磯伝いに歩いていくと急な階段が現れる。湾外、荒井浜方面へ。
▼ 途中の岩場から
海が眩しい。
荒井浜
観潮荘の手前の枝道を進むと荒井浜に出る。
途中、新井城址の看板があるが、中には入れない。
荒井浜には宿泊可能な海の家がある。
かつては(2007年まで)この海岸から城ヶ島と結ぶ観光船が発着していた。
もしかしたら復活する日が来るかも?。
荒井浜から磯伝いに進むと東大臨海実験所横の磯。
初めて来た時、野良猫の後を追って庭園に入って抜けたが、立入禁止だった。
目の前の海は、本当に海なのかと見まがうほど静か。波も立たず鏡のような水面。
『まるで油を流したような』 --- 油壺の名の由来。
タナゴ、
カレイ、
ハオコゼ
終わり。
恨めしそうに見つめる野良猫。
▼ 諸磯に沈む夕陽。
▼ こちらは諸磯湾奥
油壺湾
油壺湾は諸磯湾の北。
臨海実験所の対岸で楽しそうに釣りしている人がいたので(釣れていなさそうだったが)、後日行ってみた。
名向崎(なこうざき)というところ。
入口が少々分かりにくく、山奥に来たかのようなトンネルが行こうか戻ろうか躊躇させる。
終点は造船所。作業している人に声をかけたら快く通してくれた。
この日も同じ場所に釣り人がいた。
「どこから来たの?」。
「トンネルから」。
油壺湾へ侵入。
この日も静か。
ただ、満ちてきて戻れなくなると困るので、程々のところで引き返した。
湾の対岸は「験潮場の磯」。
外海が荒れている時に良いかもしれない。
こちらの験潮場も観潮荘の手前のくびれ部から入る。
このくびれ部に新井城の 「内の」引橋があったとされる。
その手前には広々とした市営の駐車場がある。
油壺の験潮場で観測される潮位は、日本水準原点(標高24.39m)に変動がないか点検するためにも使われる。
※ 日本水準原点は東京・永田町の国会前庭庭園にある
関東大震災の後8.6cm、東日本大震災の後2.4cm、それぞれ沈下した
その他
電車/バス
- … 《京急久里浜線》 ← 三崎口駅 → 《京急バス》 ← 油壺温泉
車
- … 《横浜横須賀道路》 ← 衣笠IC → 《三浦縦貫道路》 ← 高円坊 → 《R134、》 ← 引橋 → 《14-26》 ← 油つぼ入口 → 《14-216》 ← 油壺
- … 《R134》 ← 茅ヶ崎海岸IC → 《R134》 ← 引橋 …
三崎(の二町谷)方面と行き来できる。西海岸線。
14-216と西海岸線の出合周辺に店がいくつかある。