沖縄へ旅行する人の大半が訪れるといわれる首里城。かつて私もその例に漏れず訪れた。
今はモノレールが走っているが、未だ開業前の話。
バスに乗って行こうと思ってバスターミナルへ向かったら閑散として人がいなかった。バスも来ないし、待っていられなくなって、結局歩いた。
※ 沖縄都市モノレール(ゆいレール) →
ちょうど1ヶ月前、首里駅からてだこ浦西駅(浦添市)まで延伸。
国際通りの端の安里から日航ホテル(この建物だけ高くて目立っていた)を脇目に緩やかな坂道を上り、首里城到着。
「タクシー乗っていきなよ」と声かけられたが、ちと遅かった。
※ 首里城公園 →
思っていた以上に混み入っていたので、守礼門をくぐった後、円鑑池・龍潭(りゅうたん)をぐるりと巡り歩いてから本丸・御殿へ向かった。
しかしながら相変わらず混み入っていた。待っていられなくなって、御庭(うなー)の中には入らなかった。
正殿も拝んでいないし、写真も撮っていないし、ちょっと今では考えられない。
※ 奉神門 - 御庭 - 南殿・番所 - 正殿 - 北殿
は有料区域。
殿様や合戦のイメージが湧いてくる戦国時代の城ではなく、都城・宮殿の風情。
首里城は14世紀末の創建で、琉球王国成立が1429年。
沖縄における「国家」誕生は、13-14世紀頃。
日本本土は、紀元前後、小「国家」が生まれて、3世紀頃、ヤマトの国成立だから「国家」はなかなか発祥しないことを物語っている。
ということは……。
令和元年、太宰府が脚光を浴びているが、沖縄における「国家」誕生には平安末期まで唐とつながっていた九州西北の海の民(○○水軍)が関わっているのではなかろうか。
城の石造技術、早い時期(琉球王国成立前)から明と外交、源為朝伝説……。
今のところ未検証の仮説だが。
行き当たりばっ旅だと自然と高い所に足が向かっていく。那覇の場合、首里城だった。
そして首里城は沖縄の歴史を知る入口になった。
※ 那覇市最高所は首里駅の東の弁ヶ嶽 166m
火災 2019年10月31日未明
正殿はじめ北殿、南殿など悉く焼けてしまったのは大きな損失。再建には50年かかるという声もある。いずれにせよ中にあって燃えてしまった工芸品などの品々は元に戻らない。
長い間無難であり続けることのほうが難しいのかもしれないが、見たくないものだ。
首里城は過去4回焼けている。
- 1453年 全焼 ・・・ 志魯・布里の乱
- 1660年 焼失 - 1672年 再建
- 1709年 焼失 - 1712年 再建
- 1945年 焼失 ・・・ 太平洋戦争沖縄戦 米軍による爆弾投下
今日の正殿は、1989年から復元工事が始められて1992年11月3日復元。
毎年、10月-11月頃、首里城祭開催。
ちょうどこの時期に火災。
出火原因は調査中。
今年4月、ノートル・ダム・ド・パリの火災を受けて各地で対策強化したようだが、それでも起こってしまう。
スプリンクラーがなかった、塗装に「桐油」が使われているから火勢拡大、といっても復元してから20数年経っている。
ある種のオーバーツーリズムが遠因ではなかろうか。