ベイスターズの前身・ホエールズ

LIFE

 2024年は格別な年になりました。
 やはり、この機を逃さず、ベイスターズの前身・ホエールズについて書いておくことにした。
 次が26年後、38年後かもしれないし……。

 1992年まで横浜大洋ホエールズでした。
 1993年から横浜ベイスターズ。オーナー・大洋漁業がマルハに改称。
 2002年からTBSがオーナー。「暗黒」。
 2012年から横浜DeNAベイスターズ。
 Oh Oh wow wow 横浜モバゲーベイスターズ~ 未遂。

 先日讀賣(よみうり)のドンが亡くなられたが、
 “モガべー”ベイスターズ反対で、横浜DeNAベイスターズになった。
 危うく1リーグ制になりかけたこともあった。
 メディアの中立性?
 そのようなものはナイ!と凡人にも分からせてくれる稀有な存在だった。

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W ホエールズ

 ♪ 行くぞ大洋 行くぞ大洋 勝負の世界 ゴゴゴーゴー

 1978年、横浜スタジアムが誕生して横浜大洋ホエールズ。
 それまでは本拠地・川崎の大洋ホエールズ。
 始まりは山口県下関。
 1950年から1952年まで本拠地・下関。
  ※ 1950年から2リーグ制
 ホエールズ時代のオーナーは大洋漁業(のちマルハ)。
 1953年、1954年の大洋松竹ロビンスは大洋+(映画の)松竹。1リーグ時代から松竹ロビンスというチームがあった。
 1955年から本拠地・川崎。
 1955年 最下位。31勝99敗、首位(巨人)と61.5ゲーム差。
 1950年代もかなりの「暗黒」。
 1954年-1959年 最下位。

 でも1960年V。三原マジック。

 1962年、1964年 2位。
 1969年-1971年 3位。

 秋山監督、エース平松投手、シピン、……の1975年、1976年

 1979年 15年ぶり2位。

 私の記憶にあるのは横浜大洋ホエールズの土井監督から。1980年以降。
 物心ついた時には「友の会」に入っていて、
 濃紺Wの野球帽かぶっていた。
 中塚選手、ミヤーンがお気に入りになって、
 竹内投手、杉永投手(引退後、審判で長く活躍)のサイン、
 横浜スタジアムのグラウンドで少年野球教室、
 エース遠藤投手も間近で見れた。

 学校帰りに時々立ち寄った「養老乃瀧」でGETしたサインは、
 欠端投手、江尻コーチ(ホエールズの最後、監督代行)……。

 勝てないチームであることに早々気づいていたが、
 見に行った試合は勝つことのほうが多かった。

 タイガース戦で間違えてビジター側に入ってしまった試合、
 田代選手HR、長崎選手HR、サヨナラ勝ち。
 おとなしくしているのが難しかった。

 1985年、タイガース優勝(狂乱)。
 セ・リーグで優勝できないチームは、ホエールズとスワローズ。

 ぼへぼへ

 ぽぽぽぽんせー

 ほげーっ

 1992年、スワローズも優勝(野村ID)。
 ホエールズ最期の年。

 結局、1978年-1992年の横浜大洋ホエールズ時代、Aクラス入り3度。
 うち1回は記憶にないので、
 1983年(3位)と1990年(3位)が最高。
 優勝争いなし。

 私の学生時代終焉。

 最後にウェーブできたからいいや。

 書ききれていないが、
 個性的な選手がたくさんおりました。

 1993年、ベイスターズに変わって、
 ジャイアンツから駒田選手がFAでやって来た。
 極めてレア(マレ)。
 「大事件」。

 当時、スワローズの宮本投手が大の天敵だったが、駒田選手が打ち崩した。
 佐々木投手(のちの大魔神)がジャイアンツ戦で満塁の大ピンチを抑えたり、
 1990年代はだんだん上昇気流にのっていくのが実感できた。

 1998年V。
 38年ぶり。横浜移転後初V。


 ひひーん
 2024年有馬記念Vはレガレイラ。4年ぶり牝馬V。3歳牝馬Vは64年ぶり。
 1960年以来。
 38+26=64。

 2024年も残すところあと僅か。

 今年の漢字は早々に「震」しかない、決まり、と思っていたが、
 「あの感動をもう一度~」

 「青」にしようか
 「星」にしようか

 ちなみに昨年は「組」でした。

 12月、中山美穂さん他界

 「星」になりました。

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