前回の続き。
ベルサイユは宮殿の東、駅方面も放射状に道が延びていて、整った町だが、
観光客の印象に残るのは宮殿の西側の大庭園。
ベルサイユ庭園
▼ 宮殿から運河、その先もどこまでも続いていそうな直線軸

非常に広大。面積800[ha](=800万[m2])超。
宮殿の下、ラトナの泉

近づいてみたら口開けたカエルたちがいっぱい。
半身人間だったり、わけ分からずキモいなと思って見ていたが、
後日「ベルばら」見ていたら出てきた。
アハハハハ……
ハァ
ラトナの怒りで農民がカエルやトカゲに姿を変えられてしまう古代ローマの物語が元。
噴水は噴水ショーの日に見られる。
(冬の噴水ショーがない日は入園料無料)
ベルサイユ庭園には数多くの噴水があるが、
ルイ14世の時代、もっとたくさんあったとのこと。
ラトナの泉から大運河(グラン・カナル)へ「王の散歩道」。
両側に神々の彫像が並んでいる。
ごろ寝するつもりでいたが中央の芝生は立ち入れなかった。
大運河手前、アポロンの泉

太陽の神アポロンと月の女神アルテミスの母神がレト。ローマ神話だとアルテミスがディアナ、レトがラトナ。
運河の奥は地の果てのよう。
大運河の長さは1650m。
右手奥のほう(運河の北側)に離宮グラン・トリアノン(大トリアノン)、プティ・トリアノン(小トリアノン)がある。
グラン・トリアノンは現在、政府の迎賓館としても使われる。
プティ・トリアノンは王妃マリー・アントワネットの離宮。
「ベルばら」見た人ならば、あずまや「愛の殿堂」などに魅かれるかもしれない。
私は訪問時よく知らなかったので、運河のほとりまでで折り返し。
広いので、どのみちタイム・オーバー。
宮殿前とトリアノンの間をプティ・トラン Petit Train(いわゆるロードトレイン)が巡回している。
復路は林のほうを散策。春の泉、夏の泉。
ごろ寝するところ探していたら
見つめあうカップルが……。
ごろ寝するなら運河の水辺が良いと思われる。
宮殿前に戻る。
▼ 宮殿前の花壇

南花壇の南にオランジュリー、「スイス人の池」がある。
オランジュリー Orangerieはオレンジなどの果樹園。
補足説明
林と沼だったベルサイユにルイ13世(ルイ14世の父)が狩猟用の城館を建てて、
ルイ14世の時代、17世紀半ば以降、壮大な宮殿・庭園が造営された。日本は江戸時代。
ベルサイユ庭園の作庭は
アンドレです。
アンドレ・ル・ノートル。大変著名な庭師。
パリで気に入ったチュイルリー公園もル・ノートルが手がけた。
なお、「ベルばら」のアンドレが落命したところもチュイルリー。
ベルサイユ庭園ではルイ14世が噴水大好きで次々と噴水が造られた。その数1400!?。
ベルサイユは水源から離れた丘(高台)なので水を引いてくるのが一大事業。しかも噴水が増えるにつれて大量の水が必要になり、宮殿建設を凌ぐ程の難事業。
10km近く離れたセーヌ川から高低差100m以上水を汲み上げる「マルリーの揚水機」なるものも造られた。
動力は水力。水車と揚水ポンプ群
ベルサイユ庭園の地下は水路だらけとのこと。
広大な敷地に力強い直線軸、より幾何学的に整えられたフランス庭園。
大量の水を引く難事業と相伴って自然を支配・征服するみたいに語られがちだが、
実際眺めてみると緑豊かに映る。今に至るまで景観が保たれていることに感心。
興味深いのはベルサイユの前に既に同じ技術者たち(建築、造園、内装)で豪勢な城・庭園が造られていたこと。パリ南東のボー・ル・ビコント城。
この城に招かれたルイ14世が対抗意識燃やして造られたのがベルサイユ。
ボー・ル・ビコント城の城主、時の財務長官フーケはルイ14世に睨まれて失脚、獄死した。
ルイ14世怖そうだが、
自らベルサイユ庭園の案内書を作成して、
民衆も庭園に入って鑑賞することができた---。
好感度UP。
フーケに代わって財務総監に就いたコルベールは重商主義政策でたびたび言及される人。有能。
重商主義の下、貿易に関わった一部の商人は利益を得たが、農民は疲弊したまま。産業革命の後、工業が発展。平民は平たくなかった。
現代も似通ったところがあって、民主の「民」は平たくない。
重税、物価高、浪費、隠蔽、……しかし、現代は王族や貴族のせいにすることはできない。
さて、どこに文句をぶつけようか---。