パラリラパラリラ パリパラリンピック閉幕。
昔訪れたパリの思い出第3回(最終回)。
ルーブル美術館の対岸近くにオルセー美術館もあるが、ルーブルで1年以上分鑑賞した気分。
雨もやんだのでチュイルリー公園お散歩。
公園抜けるとコンコルド広場。
真ん中にエジプト・ルクソール神殿から運ばれた(盗んだものではなく贈られたもの)オベリスクが立っている。
だだっ広く見えるのは車道が石畳のせいかもしれないが、気に入った。
コンコルド広場からエッフェル塔へワープ。(ベルサイユへ行って戻った。)
エッフェル塔は眺めながら近づいたのではなく、地下から出たと同時に目に飛び込んできたので、オーッと思わず声が出た。
地味な色合いの鉄塔だけど19世紀に高さ300m超達成。
イエナ橋からシャイヨ宮へ離れるにつれて、その高さが際立って、美しく見えてくる。
さらにシャイヨ宮の階段上がって両翼間のテラスから見ると、手前の池、イエナ橋、シャン・ド・マルス公園が均整とれていて、より一層美しく見える。
あともう1ヶ所---
[エトワール]凱旋門
エトワール=星。エトワール広場=現在のシャルル・ド・ゴール広場。
12の街路(アベニュー)が放射状に分岐している。
▼ シャンゼリゼ通り側
高さ約50m。
ナポレオンの時代、オステルリッツ(アウステルリッツ)の戦いの後建造。完成は1836年。ナポレオンが目にすることはなかった。
※ オステルリッツの戦い:1805年、フランス vs オーストリア、ロシア
オステルリッツ:現在のチェコ南東ブルノ近郊
1806年、神聖ローマ帝国解体
オーストリア・ウィーンが神聖ローマ帝国の都。ハプスブルク家から皇帝輩出
マリー・アントワネットは女帝マリア・テレジアの娘
ぐるり一周。交通量が多くて(いわゆるラウンドアバウト)渡れなかったが、地下道がある。
混んでいたので展望台には上がらず。
▼ 凱旋門の下からシャンゼリゼ通り
どこまでも続いているように見える大通り。
反対側(グランダルメ通り側)も一直線。グランド・アルシュ(新凱旋門)が見える。
パリの街並み
エッフェル塔から凱旋門は駆け足で巡ることになったが、宿に直行していたらパリの印象は違うものになっていたと思う。
というか本来真っ先に立ち寄るべきところだった。
- シャイヨ宮 - エッフェル塔 - モンパルナス
- ルーブル美術館 - コンコルド広場 - シャンゼリゼ通り - 凱旋門 - 新凱旋門
の2つの直線軸が強く印象に残った。
前者のエッフェル塔は1889年、パリ万博(4回目)に合わせて建造。
後者はもう少し前、19世紀半ば~後半、大改造。
ざっと振り返ると---
18世紀にイギリスで興った産業革命の波が拡がって、
農村から都市へ人が流入、
既存の都市が大都市へ化していった。
その過程で人口過密による交通、衛生(水質悪化、ごみ、感染症など)、治安などの都市問題が顕わになり、
19世紀半ば以降、
・ 既存の都市の改造
・ 新都市・ニュータウンの開発
が各地で行われるようになった。
その間、市民革命も勃発。
フランスは1789年の革命の後も帝政(ナポレオン)、王政(ルイ18世、シャルル10世)、帝政(ナポレオン3世)の時代が続くが、社会を動かす力の主体が少数の特権階級(貴族など)から多数の市民へと遷りゆく時代でもあった。
(実際には市民といってもブルジョワと呼ばれる資本家などが新たな特権階級のようになっていく。)
19世紀半ば~後半のパリ大改造は帝政(ナポレオン3世)の時代。県知事オスマンが強権発動して土地収用を行い、広い幅員の直線道路を築いた。
※ 当時パリ市はセーヌ県の一部
手法としてはなかなか手本にできないが、
道路網の整備のほか、公園(森林・緑地)、上下水道なども整備され、
都市景観は今日に至るまで最上の評価を得ている。
暴動を速やかに鎮圧するための道路という側面もあったようだが、
パリ大改造は近代都市計画の先駆けとして広く紹介されている。
ちなみにパリ市(20区)の面積は約105km2で、東京23区の4分の1にも満たないので、比較する際は注意が必要。
(あまり比較する必要はないと思うが。)
凱旋門からもう一度コンコルド広場へ。
このあたりが気に入ったので、パリを去る前に見納め。
フランス革命の時は「革命広場」で、1000人超がここで処刑されたと知ったのは後日。
※ コンコルド=融和
気に入った場所は隣のチュイルリー公園ということにしておこう。
そのチュイルリー公園にはかつて宮殿(チュイルリー宮殿)があり、フランス革命の後、国王一家がベルサイユ宮殿から移されて監視下に置かれた---
1791年に脱出を試みたが、失敗。のちタンプル塔に幽閉。
前夜休憩したタンプル公園がその跡だった。
1793年、コンシェルジュリーを経てコンコルド広場でルイ16世、マリー・アントワネット処刑。「恐怖政治」続く。
バスティーユ広場から始まって、知らず知らずのうちにフランス革命巡りしていた。
そんなつもりは毛頭なかったが……。
帰りはメトロ Métroを利用。
真向かいが酔っ払い。青毛のトサカ頭の兄ちゃんと赤毛の兄ちゃんがゲップ声で喚いていた。
自由、友愛
ヒャッハー
早よう着けと
目を合わせないように頑張った。