昔訪れたパリの思い出

LIFE

 2024年7月-8月 パリ五輪(パリ・オリンピック)。
 日本は柔道、スケートボード、フェンシング、水泳、馬術!、体操でメダル獲得。サッカー好調。
 大逆転連続で熱い。


 この機会に昔パリを訪れた時のこと書き残しておこう。

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フランス入国

 朝、ロンドンのウォータールー駅からユーロスター。
  ※ 今はウォータールー駅ではなくセント・パンクラス駅発着
 時刻表を見るとパリ北駅まで約4時間。
 ドーバー海峡トンネルを約20分でくぐり抜けて、まだ時間があると思ってのんびりくつろいでいたら、時差が1時間あった。半ば放り出されるように慌しく車両を後にした。
  ※ パリのほうが1時間進んでいる(UTC+1)ので約3時間で到着。
    今はもう少し高速化して所要時間2時間30分
    逆の場合、1時間30分で着くと勘違いするかも
 パスポートを見せることもなく入国。ユーロスターの乗車手続きに含まれていたのかもしれない。

 フランス語は思っていた以上に分からない。
 東西南北くらいは分かる。est、ouest、sud、nord。

 トイレは有料のようだった。女性清掃員のズドン=「大」、ピッピッ=「小」というジェスチャーは理解できた。

 店先っぽかったが、椅子とテーブルがあったので座って地図見ていたら
 ばあちゃんが覗き込んで何か話しかけてくる。
 金払えみたいなジェスチャーに見えたからコイン渡したら去っていった。
 入れ替わりに少女が現れた。
 えっ?
 幸薄そうだったが、コイン渡したら嬉しそうにしていた。
 もしかして善いことしたのだろうか、
 と思ったら赤ん坊抱えた女性が現れた。
 何ココ。
 再び先程のばあちゃんが現れた。
 狙われているみたい。
 出口が違ったらひと回りすればいいか---

 目指す宿はレピュブリック Républiqueにある。英語だとリバプリック Republic。日本語だと共和国。
 探していたマジャンタ大通りを見つけて、あとは一直線。

 街はやけに騒がしい。
 ロンドンもパトカーのサイレンがたびたび鳴り響いていたが、パリはもっと頻繁で音もけたたましい。
 しかもあちこち警察が立っている。
 後で知ったことだが、“極右”の大統領が誕生するかもしれない、ということで反対デモの最中だった。国民戦線党首ルパンならぬルペン。今は国民連合という名で、娘が党首。
 デモはフェスティバルのようだった。
 広場でたむろしている若者たちは楽しんでいるように見えた。

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パリ徘徊

 レピュブリックの宿で休憩。廊下は暗いが、部屋は明るい。窓の外はドラムの鳴り響く音。
 15時近かったが、ヨーロッパはなかなか日が沈まないということを“学習”したので、街をふらつくことにした。

 バスティーユへ。
 1789年フランス革命始まりの地。
 牢獄跡が現・バスティーユ広場。
 広場に面して新オペラ座。フランス革命200周年(1989年)記念。
 近くにビクトル・ユゴー記念館もある。

 川(サン・マルタン運河)沿いを歩いてセーヌ川に合流。
 ケ・ド・ラ・ラペーというところ。
 近くにパリ・リヨン駅やオステルリッツ橋、オステルリッツ駅、植物大公園がある。

 塔が見え始めた。ノートルダム寺院の尖塔。

 サン・ルイ島へ。
 橋はフランス語でポン Pont。

 ▼ シュリー橋の川上から

ノートルダム寺院は火災前

 シュリー橋のたもとに建つアラブ世界研究所を見たかった。
 南側外壁のたくさんの格子窓が動く。より正確には窓1つ1つに付いているたくさんのアルミ・パネルが太陽光の強さに応じて開閉する。

 シテ島のノートルダム寺院(ノートル・ダム・ド・パリ)は背後から接近。ゴツゴツ感あるのは重い屋根を支えるフライング・バットレス(飛び梁&控え壁)のせい。
 広場側正面にまわれば、よく写真で見かけるような優しい?感じ。
 荘厳なゴシック建築。ラフな格好で入る所ではなさそうだが、ラフな格好の人の後について潜入。
 中は暗くてひんやり涼しい。座席でしばらく休憩した後ぐるり一周。
 大きなバラ窓の内側はステンド・グラス。大窓のためのバットレス。
 塔の上に「カジモド」がつく鐘がある。上ることもできる。

火災前

 ※ 塔は高さ96m。2019年4月の火災で崩落したが、今年(2024年)再建。見学再開は五輪に間に合わなかったが、年末に再開される予定

 シテ島から橋を渡ってパリ市庁舎。

 宿へ帰る途中、ポンピドゥー・センター。1970年代建造の文化芸術センター。
 骨格むき出しで、透明なチューブの中をエスカレーターが上がっていく。
 建造時はヨーロッパよりもアメリカが勢い盛んで人類の活動が宇宙へ拡がり始めた時代。停滞気味だったフランスもパリに近未来志向のビルディングを造り始める。その起爆剤的存在。設計はイギリス人とイタリア人。周囲との調和なし。

 店は人で満ち溢れ、カフェ入れず。
 スーパー・マーケットに立ち寄って、食料補充。
 道迷った末、レピュブリック近くのタンプル公園に出た。買ってきたアイス食す。乳飲料は頑張っても飲めない。腐っているわけではなさそうだが……。

 21時でも明るい。

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