フランス パリ ルーブル美術館について

LIFE

 パリ五輪(オリンピック)が終わって、
 パラリンピックは8月28日-9月8日。

 2022年冬季のオリ-パラの間に始まった戦争はまだ続いている。

 いろいろ話題になった五輪。
 ほとんどがVTR視聴だったが、
 開会式のセーヌ川で見かけた顔、どこかで見覚えがあると思ったら……

 ルーブル美術館のガイド・ブックの表紙の人だった。

 ルーブル美術館について。

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ルーブルへ行く

 日頃美術館へ足を運ぶことは少ないので、ルーブル美術館も中に入るつもりはなかったが、入口の行列に並ぶほかなかった。
 その顛末。「昔訪れたパリの思い出」の続き。

 ノートル・ダム・ド・パリ(ノートルダム寺院)があるシテ島からセーヌ川沿いを歩く予定でシャトレという駅に降りた。
 レピュブリックからメトロ Métroを利用。前日は入口が不気味な感じでスルーしたが、いざ中へ入ってみるとRETAIL(小売店)があって問題なかった。One Day Ticket(1日乗車券)GET。パリ市内を縦横無尽に走っているので便利。

 シャトレ広場は前日帰りに通ったパリ市庁舎の近く。

 (分かりづらいが)スフィンクスが口から水を吐いている。
 上の写真の奥がシテ島。右のほうにコンシェルジュリーがあるが、写っている建物はあとで調べたところ商事裁判所(商業裁判所)。
 コンシェルジュリーは(今日の)最高裁判所などと同じ敷地。

 雨が降り始めた。
 手持ちの傘はボロボロ。
 店に入って新しい傘物色したが、ド派手で大きなものしかない。
 よくよく見るとみな傘ささないで歩いているし、多少濡れてもしかたない、と歩き出したら、行く手に傘売りの大男が立ちはだかった。リネール・クラス。

 シャトレ広場からシテ島の端のポン・ヌフ(日本語だと新橋。現存するパリ最古の橋)を過ぎても
 ずーーっとついてくる。
 たいした雨ではなかったので買わなかったが、どこまでもついてきそうだったので、
 さらば、と右へ折れたところがルーブル美術館の中庭だった。
 う~。
 大男なので少し危険を感じたが、前方にピラミッドが見えて解放された。
 行列に並んで守衛にバトンタッチ。
 傘売りは守衛ともみ合いながら中庭へ消えていった。

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ルーブル美術館

ルーブル美術館(www.louvre.fr/)
 最寄の駅はパレ・ロワイヤル-ルーブル美術館(メトロ1号線、7号線)

 ガラスのピラミッドがルーブル美術館のメインの入口。

 ▼ ピラミッドの中、ナポレオン・ホール

 ルーブル美術館の元はルーブル宮殿。

 大きく3つのエリア(翼)に分かれていて、半地階、1階、2階、3階を歩き回る。

 ▼ ご案内

 ピラミッドのある広場がナポレオン広場(クール・ナポレオン)。西にカルーゼル広場、カルーゼル凱旋門。
 カルーゼル広場の地下にショッピング・センター。小型の逆ピラミッドがある。

 ピラミッドの北がリシュリュー翼 RICHELIEUと呼ばれているエリアで、大改修前大蔵省(財務省)が入っていたところ。中庭3つ。
  ※ 1980年代、ルーブル美術館大改修(グラン・ルーブル計画)。入口のピラミッド、ナポレオン・ホールが造られた。リシュリュー翼の中庭もこの時改修
 
 ピラミッドの南はドゥノン翼 DENONと呼ばれているエリア。

 ルーブル宮殿の前はパリ市街防衛のためのルーブル城。
 最初に立ち入った方形中庭(クール・カレ)がルーブルの歴史の始まり。中世・ 12世紀末から。
 方形中庭を囲むエリアはシュリー翼 SULLY。半地階に城塞時代の遺跡が展示されている。

 たいした予備知識もなく入り込んでしまったが、 
 彫刻たちが「見ろ」と言っているような気がする。

 ▼ マルリーの中庭のフランス彫刻

 マルリーの中庭はリシュリュー翼の中庭の1つ。
 ピラミッドとは別のガラス天井。
 マルリー宮殿(パリ西郊。現在公園)のために制作された馬の像。
 ピュジェの中庭ともう1つ小さな中庭(ホルサバードの中庭)に続いている。

 ここからオリエント、エジプト、ギリシャ、……。
 ホルサバード(コルサバード)は紀元前8世紀、アッシリア帝国の都。現在のイラク。

 「目には目を」のハンムラビ法典の碑
  なにゆえここに---
  ハンムラビは紀元前18世紀、バビロンの王。現在のイラク。
  発見場所はイランのスーサ。エラム王国の都。エラム王国は紀元前7世紀、アッシリア帝国に滅ぼされた。

 見ろ! ミロのビーナス(アフロディテ)
  紀元前2世紀末。
  男っぽく見えなくもない。

  ミロ=ギリシャ ミロス島。アテネとクレタ島の間。

 ドゥノン翼 1階 - 半地階 - 2階。
  ※ 訪問時、ドゥノン翼の中庭改修前

 サモトラケのニケ
  ミロのビーナスよりも古い像。
  ニケはビクトリアで勝利の女神。
  頭部が欠けていても傑作、欠けているからこそ想像力がかきたてられるという評もある。
  古代ギリシャ~古代ローマの神々は廃されてしまった、という歴史もある。

  五輪閉会式に寸胴NIKE像登場。

  サモトラケ=ギリシャ サモトラケ島。エーゲ海北岸。

 メソポタミア、古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマ、
 半分くらい考古博物館。

 2階からフランス、イタリアなどの絵画。

 ダビッド 「ナポレオンの戴冠式」
  1804年、ノートル・ダム・ド・パリで行われた戴冠式の絵。冠がナポレオンからジョゼフィーヌへ。
  ドデカイ。横10m弱 × 縦約6m。

 ダビッド 「レカミエ夫人の肖像」
  美人。ナポレオンふられた。

 ドラクロワ 「民衆を導く自由の女神」
  1789年ではなく1830年の7月革命の絵。
  「自由の女神」の左手にじゅう(銃)。

 一番人が多いところ---
 天才レオナルド・ダ・ビンチ 「モナ・リザ」
  16世紀初め(ルネサンス期)。
  第一印象、小さい。ドデカイ絵を見た後なので余計小さく感じる。みな近くで見ようと順番待ち。
  微笑んでいるようには見えなかった。
  レオナルド・ダ・ビンチはフランスのロワール地方で亡くなった。

  1974年、日本に貸し出された!?

 リシュリュー翼 2階へ。

 ナポレオン3世の居室。
 豪華絢爛。

 ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン)はナポレオン(1世)の甥。子の2世は早世。
 1世の後、王政復古を経て、3世による帝政。
 3世の時にパリ大改造。
 1870年、皇帝自ら戦地に赴いてプロイセンの捕虜となる。フランス最後の君主。

 パリは1814年と1871年に占領されている。
 フランス近代史結構ハチャメチャ。

 見飽きることはないが、見疲れた。
 休憩。

 3階へ。
 また今度というわけにもいかないので、ひととおり巡った。
 ルーベンス、フェルメールなどの作品。

 冒頭の女性は
 ラ・トゥールという17世紀フランスの画家の作品
 「いかさま師」
に描かれている。

 広場へ出ると雨は完全に止んでいた。

 日本を含むアジアのコレクションは、ギメ[東洋]美術館で展示されている。
 エッフェル塔-シャイヨ宮周辺エリア。
 近くにあるケ・ブランリー美術館は、アフリカ、アジア、オセアニア、アメリカのコレクション。

 日本国内では三重県津市白山町にルーブル彫刻美術館(www.louvre-m.com/)がある。

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