時の流れを感じるな。
あれは1998年。横浜ベイスターズが優勝した年。その年だけだからよく覚えているが、凄い投手「平成の怪物」が横浜高校にいて甲子園春夏連覇を達成した。
なかでも夏の大会の大阪・PL学園との延長戦(延長17回)は最後の最後までどちらが勝つか分からない競った展開で、普段野球見ない人にも「松坂」の名が知れ渡るようになった。
250球1人で投げて走って……。
もう今はストップかかって無理だと思うが、尋常ではない熱戦が大きな感動を生み出した。
翌日の高知・明徳義塾戦は先発せず、8回までで0-6。
敗色濃厚だったが、ここから魔サカの大逆転。
大歓声の中、リリーフでレフトからマウンドへ向かい、逆転勝利を呼び込んだ。
さらに翌日、決勝の京都成章戦はノーヒット・ノーラン!。
こんな展開漫画でもなかなか描けないだろう。
横浜高校はドカベンの明訓高校みたいだった。
校歌も非常に良くて最初から最後までメロディ覚えてしまった。自分の母校の校歌はサビしか覚えていないのに。
地元神奈川では甲子園に出る前から凄い投手がいるということで取り上げられていたが、その時の写真のピッチング・フォーム、バッティング・フォームいずれも格好良くて、ドレドレと思いながら試合見たら確かに凄かった。
余裕持って投げていて、ランナー出しても点とられる感じがしなかった。
プロで通用するかどうか、じゃなく、プロでも打てないだろう、というボールを投げていた。
しかも投げ終えた後の鋭い眼光がタダモノではない雰囲気醸し出していて高校生には見えなかった。
ベイスターズはドえらい人逃したー。
1998年日本シリーズの対戦相手・西武ライオンズが抽選引き当ててさらっていった。
1年目から活躍して最多勝。翌年も翌年も。
極めて特別なことだが、個人的にはさほど驚かなかった。
ファイターズでも
たとえベイスターズでも活躍したであろう。
然らばベイスターズ2000年代暗黒期もなかったであろう。
※ 2001-2010年 6位7回
バッティングも凄く良かったのでセ・リーグで見たかったが叶わなかった。
その後どういうわけか目玉選手は悉くパ・リーグへ行ってしまった。
当然次々と名勝負が生まれるし、「パ高セ低」が続くことになった。
個人的にはDHのせいだとは思わない。
ランナー出しても要所要所(ヨイショヨイショではなく)抑えるし、
終盤になって衰えるどころかギア上がって完投。
記憶が確かなら「リベンジする」とか「アドレナリンが出た」とか多くの人が言うようになったのも彼の発言が走りだったと思う。(違っていたらスミマセン)。
五輪(オリンピック)、WBC World Baseball Clasicでも大きな存在だった。
落とせない厳しい試合を任せることができて、仮に駄目でも仕方ないと思える存在。いわゆるエース。
ほとんど期待に応えた。
2006年 第1回WBC 優勝。MVP。
翌年、「世界一」の看板引っ提げてメジャー・リーグへ。
春のキャンプは大フィーバー。日本のメディアがゾロゾロ押しかけて、誰が言い出したかジャイロボール(いわゆる魔球)も話題になり、ボストンはその熱気を引き継いで久々に優勝。ワールド・シリーズも制覇した。
DICE K
TSUNAWATARI
ボストンでは類い稀な完投能力が発揮されることはほとんどなく、活躍したものの圧倒的投球とまではいかなかった。
※ 圧倒的投球 ・・・ 同じボストンでのちに上原投手が見せたような快投
期待度はかつてない程大きく、求められるものも最初から大きく、重圧は半端なかったと思う。
2009年 第2回 WBC優勝。MVP。
以降、あまり勝てなくなった。
ホークスで日本球界に復帰したが、ほとんど投げることなく退団。
でもずっと再起目指していたから引退もせず、ドラゴンズで復活できたのだろう。
最後は再びライオンズ。
これ程の投手でも200勝に届かなかったかーと思うが、一時代を築いた。
数々の栄光は球史、平成史に深く刻まれた。